2013年8月~11月

11月30日(日)

岳父友岡稔が眠っている小平市の「小平聖地セントソフィア」で、信二・芙美枝さん家族と我が家の家族で三回忌を執り行う。二人目の孫・航希と初対面。まだ生後2ヶ月。寝る子は育つというが、なかなか目を開けてくれない。祐希は、この夏に二ヶ月間、高知の我が家で暮らしたので、すっかり私たちになついてくれている。愛想が良いとよけいに可愛い。

食事を湯葉と豆腐の店「梅の花 国分寺店」に予約してあったので、食事の前に国分寺駅そばの「殿ヶ谷戸庭園」を見物する。武蔵野段丘の礫層から湧出する湧水を利用して造られた庭園。三菱合資会社の社員で、後に満州鉄道副総裁から貴族院議員になった江口定條(さだえ)が別荘として造り、「随宜園」(ずいぎえん)と命名した。その後、三菱合資会社の経営者である岩崎彦彌太が買い取り、現在の庭園に整備している。

園内には、アカマツ、モミジ、竹林、クマザサが植えられていた。真っ赤に色づいたモミジの紅葉は見事であった。

小平聖地セントソフィア
小平聖地セントソフィア
祐希と航希、梅の花にて
祐希と航希、梅の花にて

参加者全員に贈呈させていただいた記念誌と自叙伝
参加者全員に贈呈させていただいた記念誌と自叙伝

 11月29日(金)

株式会社第一コンサルタンツは、50年前の今日、矢野利男氏と4名の社員によって第一測量有限会社として設立創業された。現在では、社員100名を超える総合建設コンサルタントとなり、国土交通省をはじめ関係官公庁から高い評価をいただいている。先輩をはじめ多くの方々のおかげである。これまでにお世話になった方々に感謝の意を表すとともに、100年企業に向けて新たにスタートする記念の日にしたいと思い、今年の4月から実行委員会を立ち上げ準備を進めてきた。

今年、建設コンサルタント会社は、これまで経験をしたことがないほどの忙しさである。このような中、どれだけの方にご参加いただけるか心配であったが、200名を超える方々にご列席いただいた。

皆様は超多忙な方ばかりである。このため記念式典はできるだけ時間を短くしたい、しかし式典の内容は格調高いものにしたい、祝賀会は楽しくて参加者に満足していただけるものにしたいと考えていた。実行委員会による周到な準備、社員、ホテル日航高知旭ロイヤルの司会やスタッフの皆様の協力のおかげで、第一コンサルタントの歴史に残る素晴らし式典・祝賀会となった。第一コンサルタンツが日本一のコンサルタントに向けて大きく羽ばたくことを確信することができた。

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鏡開き
鏡開き

11月21日(木)

 地盤工学会四国支部主催の平成25年度技術研究発表会が坂本龍馬の聖地・桂浜で開催された。

 この研究発表会が始められたのは平成3年からである。平成4年に高知で第27回土質工学研究発表会が開催されることになっていた。それに四国支部会員の投稿論文を増やすことと、発表の練習を目的に松山で開催したのが始まりである。1回だけで終わらせるのはもったいないと、以後、反時計回りに各県持ち回りで開催している。今年は23回目。

 市街から離れた宿泊施設で開催するようになったのは5年前から。矢田部龍一先生の発案により今治市大島の「海宿千年松」で泊まり込みで開催したのが始まり。同じ釜の飯を食うとお互いの絆が強まる。評判が良かったため、次の年は中土佐町の黒潮本陣で開催。以後、池田町の「大歩危祖谷阿波温泉あわの抄」、H23年度は小豆島、H24年度は内子町で開催されている。

 会場を桂浜に決めたのは、今年の1月に愛媛大学矢田部研究室と一緒に新年会をしたのが切っ掛け。矢田部先生が桂浜の景色、特に日の出をとても気に入られて決定。

 建設業界は、今年は仕事が溢れている。果たしてどれだけの参加があるか心配であったが、発表論文53編と多く、懇親会も80名を超える盛会であった。22日午後の見学会も50名を超えて、急遽バスを2台に増やしたようである。

 この研究発表会に参加すると、若い優秀な人々に会えてエネルギーを貰え元気になる。 

料亭濱長にて
料亭濱長にて

11月20日(水)
東北から4名のお客様が高知に来られた。株式会社技研の鷲尾社長、駒谷専務、後藤氏、大和重機の久保社長である。技研は、昭和54年に(故)遠藤隆昭氏が青森で創業された会社であり、スーパーウォールやスーパーボックスカルバート工法といった大型コンクリート製品を開発し、製造・販売されている。

最近のコンクリート製品の販売価格は、東日本大震災の復旧工事の影響で、以前の3倍程度まで上昇しているようである。まさに震災復興バブルである。

四国でも委託業務の仕事は昨年に比べて2倍に増え、入札辞退や入札不調が相次いで発生している。交通整理人などの人件費は2倍程度に高騰しているが、設計単価は以前のままの状態、仕事はめちゃくちゃ忙しいが利益はほとんど出ない。誰かが言っていた、「このままでは受注倒産になりかねない」と。

 今年の5月に執筆を終えていた「土木技術に見せられて~若い技術者に伝えたいこと~」が理工図書から手元に届いた。四六判、195頁で定価は税別1800円である。

 本書は,建設コンサルタントエンジニアとして43年間を歩んできた私の自叙伝である。これまでの講演原稿,私が所属する各種団体の会誌や新聞に投稿したエッセイを編集し,それに加筆したものである。

 仕事を通じ,先輩たちから学び・考え・工夫したこと,いろいろな人々に出会って語り合い,教えていただいたこと,これまでの経験を通じて私が悟ったことを記述している。

 若い土木技術者には,失敗を恐れることなく大胆な発想で創意工夫する勇気と情熱を持っていただきたい。そして,わが国の社会資本ストックを守ってもらいたい。本書は,そのような私の願いを込め、若い技術者の参考になると思われることを紹介している。

11月17日(日)

建設コンサルタンツ協会四国支部高知県部会では、毎年、社会貢献活動の一環として高知市内の児童を対象にした自然体験イベントを開催している。今年は「アジロ山の自然と環境を守る会」、高知大学の学生ボランティアなどの協力を得て、「遊ぼうアジロ山自然体験&森の音楽祭」を開催した。企画や準備は、守る会の松岡武志事務局長と第一コンサルタンツ明坂宣行取締役が中心になりお世話いただいた。

150名を超える親子連れが参加し、アジロの森散策、椎茸原木作り、森の音楽祭(ビスコッティによるライブ)、巣箱作り、四万十町米豚の豚汁、四万十の鮎飯を楽しんだ。どれも大好評であった。

高知市朝倉にあるアジロ山は、昔、土佐藩主山内家の狩場だった山。宇佐から漁師が天秤棒を担いで新鮮なカツオをお城下まで運ぶカツオ街道が通っていたと言われる歴史的価値のある場所。

山の中腹からの展望は、高知市の東端から西端までを見渡すことができる。ボランティアの皆さんの力によって、子ども達が自然に親しんで遊べるようにロープの遊具、ツリーブランコ、展望ツリーウスが整備されている。子供の天国である。身近にこのような素晴らしい環境があるとは全く気がつかなかった。

数年前までは、産業廃棄物の不法投棄やミニ開発で荒れ放題になっていた。それを地域の住民や森林ボランティアの皆さんの努力でここまで整備されたようである。


11月16日(土)

第19回高知工業高等学校同窓会が三翠園であった。出席率を高めるため金曜日から土曜日に変更しての開催。私の参加も数年振りであった。参加者は100名は超えていたが以前に比べ半減していた。最も多かったのは今年定年退職したS46年卒組の19名であった。私の関係するS45年組は5名、S44年組はわずか2名であった。

公共事業は平成10年のピークから10年間で1/3に減少した。この影響で高知県を代表する数社の建設会社が倒産した。そして昨年の高知県内入札談合問題である。県内の建設業界は完全に元気をなくし意欲を失った。これが同窓会の出席率に大きく影響したと思える。

「鯨鯢吼ゆる南溟の・・」の旧校歌と「筆山のみどりに映えて・・」の現校歌を全員が起立し斉唱して会が始まった。「初冬の夜 朋と一緒に 歌唱い」(猛)

御年94才になられた村山保先生が奥様と同伴で出席されており、今回の同窓会のために作られた漢詩を若々しいつやのある声で格調高く吟じられた。村山大先生が見えられるだけで会が引き締まる。存在感の大きさを改めて感じさせられた。

今年の閉会の挨拶は、S45年卒組の担当であった。伊藤、門田、吉良、小谷と私の5名が壇上に上がり、来年は10名で参加することを約束し、万歳三唱で締めた。

村山保先生ご夫妻と
村山保先生ご夫妻と
二次会のスナックで
二次会のスナックで

11月10日(日)

中土佐町で第3回目となる「中土佐タッチエコトライアスロン」が開催された。参加したアスリートから、「中土佐町の美しい自然とあったかいおもてなしに感動した」と評判がよい大会である。

スイム1.5km、バイク41.6km、ラン10kmのオリンピック・ディスタンス。個人188人、リレーの部に21チーム(63人)、合計251人のアスリートが全国から参加した。リレーには、須崎市の楠瀬耕作市長がスイム、中土佐町の池田洋光町長がバイク、衆議院の中谷元議員がランでチームを組んで参加された。その他には、相愛、高知工科大学、鈴木秀司氏のスポーツマックス、久保博道氏らの高知県庁チーム、飛鳥の永野正将社長とミタニ建設工業の三谷剛平社長らのチームが参加していた。

第一コンサルタンツがスポンサーになっていたので、岡山を4時半に出発して会場に駆けつけ、アスリートに声援をおくった。また、ゴールしたアスリートには第一コンサルタンツの社名が入った完走証のメダルを渡した。

リレーの部のランに出場される中谷元衆議院議員
リレーの部のランに出場される中谷元衆議院議員
ランを完走しゴールした相愛の永野社長
ランを完走しゴールした相愛の永野社長

2013中土佐トライアスロン.pdf
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11月9日(土)

岡山市の「三光荘」で日本技術士会中国本部と四国本部との意見交換会があり出席する。議題は地域本部活動の活性化と会員拡大、県支部設置、運営上の課題であった。

日本技術士会は依然として組織率が低い。日本技術士会入会者と県技術士会入会者の比は、鳥取が0.31,島根が0.21、広島が0.8、山口が0.47、徳島0.47、香川0.66,愛媛0.5,高知0.46である。技術士試験に合格したものは特段勧誘しなくても県技術士会には入会するが、日本技術士会には勧誘しても入会者は少ない。統括本部が決めたメニューに興味を示す会員は少ない。むしろ活性化と会員拡大の行事を増やすほど会員に負担を押しつけることになり、逆効果になっているように思える。

 

会場の隣が後楽園と岡山城であったので両者を見物した。後楽園は池と庭の配置が素晴らしい。まるで田園を川が流れているように池が作られている。見ているだけで心が和む。お茶を飲みながらゆっくりしたいところである。 

岡山城の石垣は戦国時代に作られて野面積み。自然石を積み上げている。長い年月で石が風化し、亀裂が入っている。その影響で大きく前方に孕みだしている。何れ近いうちに修復が必要になるように思われた。
天守閣は昭和20年に焼失。現在のものは昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。後楽園側から見るとかっこよいが、追手門を登り正面から見るとテーマパークのようでがっかりした。

 

大衆演劇がブームになっている。家内もすっかりはまっている。昭和30年頃には田舎の公民館に旅役者のどさ回りがよく来ていたが、映画やテレビの普及と共に衰退していた。最近になって人気がでできている。年寄りばかりでなく、公演をおっかけする若い女性も多いようである。

岡山には後楽園の近くに「後楽座」がある。里見劇団進明座の座長里見要次郎が作り、2011年4月にオープンした。潰れた映画館の内装を変えて再建させたようである。

11月公演は椿裕二座長率いる「劇団大川」。大衆演劇の公演の内容は、芝居と歌謡・舞踏ショーが基本となっており所要時間は3時間。この劇団は、団員の芸上手に定評がある。入場料は一人1,800円。毎日、昼と夜の部がある。内容は夜昼、毎日異なる。この夜の客は30人にも満たなかった。これでやっていけるのかと思ったが、熱烈なファンが彼らを支えているのである。年輩の女性が多い。男性や若い女性もいた。ひいきの役者には、踊りの最中に「お花」と称するお札を渡していた。前に座っていた若い女性は3人に渡していた。浅草の芝居小屋では、一万円札をつなぎ合わせて作ったレイを役者の首に掛けたり、扇状にして胸に挿したりする客もいるようである。

 

味処こいそ
味処こいそ

11月6日(水)

(一社)長崎県林業コンサルタント主催の森林土木技術研修会がホテルセントヒル長崎であり、「落石防護柵および防護柵基礎と落石防護擁壁の設計法」と題して講演をさせていただく。

以前には吉田博先生が講師をされていたが、昨年、吉田先生の推薦で私に講師依頼があり、今年は二度目である。

私の講演の後、3社の防護柵メーカーによってTXI落石防護柵、イージーネット工法、イーフェンスの紹介があった。どのメーカーも要求性能を明確にした上で、重錘落下実験など実物実験をして性能を確認されている。実験には膨大な費用を要する。それにも関わらず実験を行うのは、技術者としての誇りと使命感に他ならない。

目先の効率化にとらわれて分業化とマニュアル化が進み、その結果技術者のレベルが目を覆いたくなるほど低下している。その一方で、技術開発に真摯に取り組んでいる企業があることを確認でき、とても嬉しい気持ちになった。

最後の意見交換会の後、長崎県林業コンサルタントの後藤充明会長からお誘いをいただき、思案橋通りにある馴染みの居酒屋「味処こいそ」で御馳走になる。

「人は一生のうち、出会うべき人に必ず出会える。しかも一瞬遅すぎず、一瞬早すぎず。内に求める心なくんば、ついにその縁は生じざるべし」という森信三先生の言葉がある。後藤会長との出会いにも大きな縁を感じた。

11月5日(火)

明日、講演をする予定になっている長崎に、家内と別れて移動する。

食事を約束していたOTOGIの河村泉兵衛氏と長崎風頭公園の坂本龍馬像建立の発起人である柴崎賀広氏がホテルまで迎えにきてくれた。

柴崎氏からいただいた名刺には、「世界龍馬楽校・主宰」「長崎龍馬会会員」「全国龍馬社中理事」「龍馬研究会幹事」「現代龍馬学会会員」「坂本龍馬財団会員」と肩書きが書かれていた。

柴崎氏の行きつけの居酒屋で魚料理を御馳走になった後、二つ目の店は「風雲児焼とり竜馬」という居酒屋。店主は河野健一氏。長崎龍馬会の会長で、長崎龍馬像建立の発起人の一人。店内の壁にはこの店を訪れた全国の龍馬ファンの名刺がたくさん貼られていた。「亀山社中」のような場所である。

柴崎氏は、「坂本龍馬財団の理事が長崎に来る」と河村泉兵衛氏から聞き、私を歓待しなければと思っておられたようである。勘違いをされると困るので最初に行った居酒屋で、「私は坂本龍馬に関する知識はほとんど持っていない、20代に司馬遼太郎の竜馬がゆくを読んでいるが一度だけである。私は森健志郎館長をはじめ坂本龍馬を熱く語る人たちが好きなのです」と自己紹介させていただいた。

柴崎氏たちも、歴史家のように事実を調べるのが目的ではなく、「龍馬のように考え、語り、行動する」ことを目指されているようであった。

それにしても、龍馬というだけで初対面にも関わらずすぐ仲間になってしまう。改めて龍馬のすごさを感じた。

長崎の新鮮な魚をたべらせてくれる居酒屋
長崎の新鮮な魚をたべらせてくれる居酒屋
ここでは麦焼酎を飲む
ここでは麦焼酎を飲む
風雲児焼とり龍馬の店の前
風雲児焼とり龍馬の店の前
店内の壁面には龍馬ファンの名刺がいっぱい貼られていた。
店内の壁面には龍馬ファンの名刺がいっぱい貼られていた。

法隆寺
法隆寺

11月4日(月)振り替え休日
 2日目の今日は、JR奈良駅を10時に出発して法隆寺、中宮寺、慈光院、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡を一日かけて観光する。

奈良公園周辺は観光客が多いが、法隆寺がひっそりしているのには驚いた。奈良駅から遠いためだろう。以前訪れたときは桜の季節であったが、今回は紅葉や桜が紅葉してきれいである。柿もなっている。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」正岡子規の俳句を思い出した。

「紅葉の さくら落ちけり 法隆寺」「参道に 紅葉落ちる 法隆寺」「もちの木が 赤い実を付け 法隆寺」駄句を口ずさむと妻から馬鹿にされた。

薬師寺では、二基ある三重の塔のうちの東塔を解体修理中であった。バスガイドより「塔の先端からお釈迦様の骨(仏舎利)が出てきた。DNA鑑定の結果本物であった」と説明があった。本当だろうか。

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東大寺の大仏
東大寺の大仏

11月3日(日) 文化の日
連休を利用して奈良に行き、定期観光バスで世界遺産巡りをした。

午後2時にJR奈良駅を出発して、東大寺、春日大社、興福寺と若草山頂を見物する。

私は5年前に(株)ライトの下村修一社長に法隆寺を案内してもらっていたが、その他ははじめてであった。春日大社権宮司の岡本彰夫氏が書かれた「日本人だけが知っている神様にほめられる生き方」を読んで奈良に行きたいと思っていた。

さすがは世界文化遺産になっているだけの価値がある。東大寺の大仏、金剛力士立像の迫力には圧倒された。東大寺ミュージアムで見た平安時代の千手観音菩薩立像、興福寺には阿修羅像など中学校の教科書で見た国宝の像が目の前に展示されている。

タイやミャンマーの仏像は金メッキを施してピカピカに輝いている。日本の仏像は手が加えられていない。金メッキがはげ落ちて汚い。仏像を信仰の対象にしているか、美術品と見ているかの違いなのだろうか。元の状態に復元することで美術品としての価値が低下するのか、それとも補修するだけの経済的余裕がないのかどちらかだろうか。

興福寺では2010年に創建1300年を記念して、1717年の火事で焼失した中金堂の再建工事が行われていた。

 

観光中に古川勝三先生から「奇美実業の創始者、許文龍さんが旭日中授賞の叙勲を受けられました」というメールが届いた。許文龍さんは東日本大震災で、6億円を超える義捐金をおくられている。

3日の夕方「奈良万葉若草の宿三笠のメニュー偽装」のニュースが流れた。ミシュランガイドにも紹介されているあの高級旅館三笠である。今日の観光コースの最後が若草山頂であり、旅館三笠の横を通って山頂に登った。このような高級旅館に一度泊まってみたいものだと家内と話していただけに余計にショックを受けた。

日本は一体どうなってしまったのだろうか。「嘘をつかない」「不正なお金は受け取らない」「失敗しても他人のせいにしない」「与えられた仕事に最善を尽くす」という日本精神が日本にはなくなったのだろうか。「神様にほめられる生き方」は忘れられたのだろうか。

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羽田空港にて
羽田空港にて

10月30日(水)
小松空港から羽田空港を経由し高知に帰る途中,羽田空港の搭乗口で,またも李亨勲さんに出会う。Lee Suongさんと一緒に高知技研製作所に向かっているところであった。昨日の高知・羽田空港間の飛行機でも一緒であった。李さんと大きな縁を感じる。

高知空港から筒井社長の車で二人の李さんを技研製作所までお送りする。

10月29日(火)

地盤工学会「落石対策工の設計と計算例」の第4回目編集委員会を金沢市文化ホールの第二会議室で13時より開催する。高級ホテルのような立派な会場にも関わらず,会場費は高知じばさんセンターと同じというのには驚いた。

懇親会は金沢を代表する料亭「石亭」。二次会はホテル日航金沢のスカイラウンジ。吉田先生がすべて段取りをして下さっていた。

 

金沢の料亭「石亭」にて
金沢の料亭「石亭」にて

10月28日(月)

先週,韓国の大山土木技術社の李亨勲社長から突然の電話があった。高知に仕事で行くので一緒に食事をしようという話である。目的は高知技研製作所との商談のようであった。

李社長とお会いするのは,2005年9月に家内と次女の三人でソウルにお邪魔して以来で,8年ぶりの再会であった。

19時から葉山で家内も交えて食事をする。明日ソウルに帰り,明後日の水曜日に再び高知に来られるということであった。精力的な働きぶりには圧倒される。

四国本部の副本部長の立場で閉会の挨拶をする私
四国本部の副本部長の立場で閉会の挨拶をする私

10月26日(土)

 第19回西日本技術士研究・業績発表年次大会の式典,基調講演,論文発表が高知会館であった。来賓として統括本部からは鮫島信行副会長,四国地方整備局からは高知河川国道事務所の高井副所長,高知県からは土木部の平田副部長,高知市からは都市計画部の永野副部長にご臨席いただいた。

 基調講演は高知工科大学渡辺法美教授で,演題は「新しい公を創るための技術士の役割」であった。

 論文発表は10編で,四国本部からは各県1編の4編があった。高知県からは「南海地震の発生予測に関する研究」と題して第一コンサルタンツの中村和弘技師長が発表された。

 今回の大会テーマは「地域存続に向けた相互扶助と技術士に期待されるもの」。地方は,少子化と高齢化による過疎化が急速に進む中で地震や豪雨などの自然災害が多発し,地方は存亡の危機にさらされている。そうした中,技術士が果たすべき役割をいろいろな視点から提言があり,とても参考になった。

 

10月25日(金)

 第19回西日本技術士研究・業績発表年次大会が二日間にわたって高知で開催された。今日はその初日で,午後よりテクニカルツアーとレセプションがあった。

 この大会は,近畿,中国,九州,四国の各本部が持ち回りで毎年開催されている。昨年は中国本部が担当しい倉敷で開かれた。そのレセプションの最後に次回開催県を代表して私が,「①テクニカルツァーでは観光遊覧船に乗って浦戸湾と桂浜を見学していただく,②レセプションでは料亭で芸妓と一緒に土佐のお座敷遊びを楽しんでいただく,③レセプションでのアトラクションにはトラックによる鳴子踊りを見ていただく」と発表した。この大会が高知で開催されるのは初めてであるので高知流の最高のおもてなしをしようと考えていたのである。

 しかし,思ったようにはなかなかゆかないものである。準備を進める中で今年の1月から観光遊覧船が運行停止になり,再開の目途がたっていないことがわかった。8月の末になって中国本部の会員から「ホテルがとれない」という電話が入った。高知では10月26日~29日の4日間「第26回全国健康福祉祭(ねんりんピック)」の開催があり,ホテルが全て旅行会社に押さえられていることが判明した。なんとか40人分の宿泊先を確保できたのは9月に入ってからであった。プログラムが確定して正式な案内ができたのは開催1ヶ月前になってからであった。

 今年は公共工事や設計委託業務の発注量が異常に多く,全国的に技術者不足で入札不調が相次いでいる。仕事に追われて大会に出席する余裕がないという技術士が大半を占めていた。このような事情もあり参加申し込みが例年に比べて少ないのに加え,台風27号の接近で松山自動車道は通行止め,JR土讃線は運行中止になり,キャンセルが相次いだ。

 ツァー参加者は私の家内も加え14名であった。レセプションの1次会は,技術士以外のわが社の社員にも参加してもらい,予約していた43席をどうにか埋めることができた。

 



10月15日(火)
中田優・文ご夫妻主催による出版記念祝賀会の慰労会が希満理であり,発起人たちが招待を受けた。私は発起人としてほとんど役立たずであったが,裏話などを聞けたらと思う好奇心で出席させていただいた。

どこに行くのもご夫妻はご一緒されているので,夫婦喧嘩などとは無縁なのだろうと想像していた。ところが,意見の食い違いでよく喧嘩をするというのである。祝賀会の3日前にも胸リボンのサイズで大喧嘩をされたようである。

ご主人は,元警察官だけあって一旦決めたことは確実に実行するタイプであるのに対し,奥様は次々とアイディアが生まれて決めていたことも二転三転するようである。

お互いが思ったことを心の中に閉じ込めることなく遠慮せずに出し,最終的には協力して一つの方向に進むのがご夫婦のいつものパターンで,これが「おしどり夫婦」となる秘訣なのだろうと思った。

 

10月13日(日)

「恋文おまんが好きぜよ 中田文さん出版記念祝賀会」がホテル日航高知旭ロイヤルであり,関係者ら220名が出席した。

文芸社から出版された「恋文おまんが好きぜよ」は,ビデオ作品を制作しながら四人の子育てを描いた中田文さんの自叙伝である。絶対無理だろうと思われるような夢を,作者の文さんが次々と叶えていく,痛快であり感動させられる。出張中の列車の中で読んだ。いつの間にか本の中に引き込まれ,気がつくと読み終えていた。とにかく面白い。元気を与えてくれる本である。

 

四人のお子さんに会えるのを楽しみに出席した。仕事の都合のつかなかった四男以外は出席されていた。私が想像していた以上にイケメンの好青年という印象をもった。

全日本ビデオコンテストで大賞を受賞した「たっ君は店長さん」の「たっ君」こと中田貴久さんとお話をさせていただいた。以前は東京で俳優をされていたが,無現在は高知に帰り不動産会社の営業マンをされているということであった。小さい頃から店長として鍛えられている。不動産会社の中心的存在になって活躍されることだろうと思った。

 

最後の御主人の挨拶がとても良かった。この本の一番好きな箇所は,昭和63年に起きた上海列車事故のことを書いた箇所ということで紹介があった。長男と一番の仲良しで演芸部の恒石君が亡くなる前に,「おばちゃん,絶対大林監督に会わしてよ」と頼まれていた。友人が亡くなったことで苦悩する長男の心をそのまま作品にした「ぼくは忘れない 高知学芸高校・中国修学旅行上海列車事故」が東京ビデオフェスチバルに入賞。表彰式には,恒石君の母親,長男,文さんの3人で出席。恒石君の憧れていた大林宣彦監督から賞が手渡されたのである。優さんは,「これは奇跡ですが,家内の文は奇跡を起こす力を持っています。すごい女房です」「家内は我が家のジャンヌダルクです。いつも家族の先頭に立って旗を振り,家族を鼓舞し続け軌跡を起こしてきました」という紹介があった。

御主人のこの紹介へのお礼の意味であったのだと思う。文さんから「だんな様」というカラオケが披露された。「私の大事な旦那様~」という歌で,十八番のようである。いまでも初恋のころのように仲睦まじいのが素晴らしい。

 

会場には93歳になられる文さんのお父様,90歳のお母様も来られていた。祝賀会の発起人代表でエースワン社長の中山土志延・米子夫妻の仲人である。

会場は中田家の家族愛で満ち溢れていた。なんと仲の良い家族だろう。わが家もこのようになりたいものである。これが正直な感想である。

花束を受け取る中田文さん
花束を受け取る中田文さん
挨拶をされる御主人の中田優さん
挨拶をされる御主人の中田優さん

10月11日(金)
久し振りに結婚披露宴の案内をいただいた。市会議員をされている土居ひさしさんの披露宴である。私が経験したなかでは最も豪勢であった。来賓は440名を超えていた。媒酌人は県会議員の西森潮三・久恵ご夫妻。両家代表祝辞は尾﨑正直高知県知事。祝辞は福井照衆議院議員,山本有二衆議院議員,土佐山内家第十九代当主の山内豊功氏,高知県顧問弁護士下元敏晴氏。

 

最近は結婚そのものが減っている。たとえ結婚しても披露宴をしないケースが増えている。長年続いているデフレ不況の影響もあろうが,余分な出費をできるだけ抑えたいということのようである。

もう,25年以上前のことであるが,従兄弟の結婚披露宴に出席した。二人とも小学校の教員をしていた。花婿が冒頭に「ここに集まっていただいた皆様が楽しく歓談をしていただければ,何よりも嬉しく思います。私たちのことは気にすることなく自由に食べて飲んで楽しんで下さい」と挨拶をされた。披露宴が自分たち二人のためにあると考えれば,大勢の人を呼んで宴会をすることを無駄と思えるかも知れない。しかし,披露宴は,人間社会を上手く機能させるための重要な儀式であり,日本人の古くからの経験に基づいた知恵であるので,披露宴をすることが一人前になった者の務めと考える

べきでないかと思う。

 

最近は,自分のことだけを考える人が増えている。自分が儲けるよりも,相手を幸せにすることを一番と考えたのが昔の日本人の商道徳であった。「先義後利」。先に道義があって,後から利益が着いてくるという考えである。 

今夜の手料理
今夜の手料理

10月9日(水)
家内が孫を産んだ娘の手伝いをするため東京に行っており,1週間ばかりやもめ暮らしが続いている。若い頃であれば家で食事をすることはなかったが,この年になると自宅でゆっくりする方がよい。しばらく鍋料理を続けていたので,今夜は洋食にする。数日前に弟が山で採ったといって送ってきた松茸をアルミホイル焼きにする。それに冷蔵庫の中にあったスモークハム,トマト,キュウリの油炒めをしてみた。自己流レシピだが結構いける。

食事を終えた頃に知人の社長から電話がかかってきた。話の中で「考える森」に是非とも行くとよいと勧められた。「考える村」は,数日前にも知人から聞き気に掛かっていた。私は知らなかったが,設立されたのは昭和49年と古い。設立趣意書には当時の高知の政財界の重鎮が名を連ねている。リーダー役は桂浜の龍馬像を建てたときと同じ入交好保(よしやす)氏。「自然の中に人間の生き方を考える」時間と場所を提供するためにつくられたようである。昨年,坂本龍馬記念館の森館長達といっしょに台湾に行って以来,これまでとは違った種類の人たちとの出会いが増えている。

森信三先生の「人は一生のうち,出会うべき人に必ず出会える。しかも一瞬遅すぎず,一瞬早すぎず。内に求める心なくんば,ついにその縁は生じざるべし」が頭に浮かんだ。何か大きな運命に導かれているような気がする。

10月3日(木)
第9回新事業創出全国フォーラムがオレンジホールであった。森健志郎館長による「今なぜ龍馬か」と題する基調講演があると聞いていたので聞きに行く。

フォーラムの最初に,「第8回ニッポン新事業創出大賞」の表彰があった。最優秀賞である経済産業大臣賞に輝いたのは,高知の廣瀬製紙株式会社。受賞理由は「100%合成繊維の不織布製造技術を活かして,機能性繊維による世界一薄い産業用不織布の製造加工,並びに販売事業(濾過フィルター膜:RO膜,FO膜)の開発に成功した。伝統的な産業から新たな事業に取り組み,日本のものづくり企業の範となると同時に,地域の雇用をはじめ地域の多大な貢献を評価した」というもの。

受賞企業は,新聞紙をリサイクルしてつくる断熱材「デコスファイバー」を開発した「(株)デコス」,マグネシートを開発した「ニチレイマグネット(株)」,無水調理のできるホーロー鍋「バーミキュラ」を開発した「愛知ドビー(株)」などいずれも独自の技術を持った会社である。

15年間続いたデフレ不況で,わが国の多くの会社は元気をなくしている。かつて世界に名を轟かせたパナソニック(株)やシャープ(株)でさえも巨額の赤字を抱えて喘いでいる。

そうした中でも世界に通用する技術さえ持っていれば,たとえ規模の小さい田舎の会社であっても利益を上げ成長している。

広瀬製紙の岡田勝利社長が受賞するのを見ながら,今年の8月に4000本安打を達成したイチロウ選手が若い頃に言っていた言葉「小さいことを積み重ねるのが,とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っている」と重ねて考えていた。

10月2日(水)

東京にいる長女から9月25日午後2時19分に生まれた二人目の孫の写真が送られてきた。

予定日より20日早かったので、体重2734g、身長46.2cm、胸囲31.0cm、頭囲33.8cmと標準よりは小さい。

男子であるが女の子のように可愛い。和恵が生まれたときと似ている。ひょっとすると、私に似ているかもしれない。

名前は、航希(こうき)。自分の信じたことや自分の好きなことを希望をもって、勇ましく突き進んでいく子どもに育って欲しいと願ってつけたようである。

 今年は、第一コンサルタンツの創立50周年にあたる。安倍内閣が誕生し、公共事業復活元年ともいうべき年である。2020年のオリンピック開催が東京に決まった記念すべき年でもある。航希は大変おめでたい年に生まれた。誰からも敬愛されるような立派な男子に育ってほしいものである。

祐希と航希(10月1日撮影)
祐希と航希(10月1日撮影)
航希(10月1日撮影)
航希(10月1日撮影)

9月29日(日)

祐希を連れて野市動物公園に行く。ここは、動物と植物を一体化した生息環境を再現したバイオーム展示を日本ではじめて本格的に採用した動物園。ハシビロコウ、コアリクイ、ナマケモノ、レッサーパンダといった珍しい動物が飼われている。水中を元気に泳ぎ回るカワウソがとてもかわいらしかった。園内のジャングルミュージアムでは、ピラニア、アロワナなどを飼った水槽もあり、さながら水族館。

キリンやシマウマはいるが、ゾウ、ライオン、トラ、サイといった動物園では定番の動物を見ることはできない。ひと味違った素晴らしい動物園である。

ドングリの実を拾うことができたし、カタツムリ、赤とんぼ、チョウチョを見ることができた。祐希が一番喜んだのは、動物ではなくてピクニック公園のトランポリン。はじめての体験であったが、すっかり慣れて楽しんでいた。

開会の挨拶をする筆者
開会の挨拶をする筆者

9月27日(金)
14時より高知会館で日本技術士会四国本部主催、高知県技術士会共催の「平成25年度CPDセミナー・公開講座および修習技術者支援セミナー」があった。

CPDセミナーでは、「民衆のために生きた土木技術者たち 青山士,宮本武之輔,八田與一」(大成建設制作)のビデオを観賞した。

公開講座では、高知県技術士会の山本克彦副代表幹事のコーディネーターで、森直樹幹事、和田達夫会員、右城代表幹事の3人がパネリストとなって「人材育成と技術継承」と題してディスカッションを行った。

参加者は講師も含めて21名。例年の1/3程度と少なかった。この内の修習技術者は3名であった。

今年は、橋梁点検と修繕計画、南海地震対策に加えて、全国一斉の道路施設点検が発注されており、調査設計に関する委託業務は異常に多い。どこの会社も人手不足が深刻な状況になっており、その影響が今回のセミナーにもろに現れたものと思われる。

平成10年をピークに公共事業予算はここ15年間削減を継続してきた。これに対応するため建設関連企業は、新規採用を停止するなどにより人員削減を図ってきた。その付けがここに来て表面化しだしたものと思われる。

日本は災害大国である。国土強靱化を継続しなければならない宿命にあるにも関わらず、近年大きな災害が来なかったことから、「公共事業はもう必要ない」「無駄である」という意見を大勢を占めていた。しかし、3.11東日本大震災を筆頭に、最近の集中豪雨災害、インフラの老朽化による被害が続出していることから、公共事業を計画的かつ継続的に実施しなければならないということを国民が感じ始めた様に思う。

今年は公共事業復活元年、インフラ元年である。国土強靱化を急ぐ必要があるように感じている。

9月23日(月)秋分の日
今日は、お彼岸の中日。両親や祖父母が眠っている土佐町に墓参りに行く。

墓地の周りには真っ赤な色をした曼珠沙華が咲いていた。「天上へ消え 赤去りし 曼珠沙華」(右城暮石)という俳句がある。葉っぱのない真っ赤な原色をした不自然なこの花は、この世の花とは思えない。まさに天国(天上)の花を想像させる。

草むらには、赤とんぼ、チョウチョ、バッタがいた。夏が過ぎて秋に入っていることを実感した。

9月15日(日)、16日(月)敬老の日

朋男君が三連休を利用して、祐希に会うために昨日から我が家に来ていた。

夜須町にある「リゾートホテル海辺の果樹園」に家族で宿泊する。東南アジアのリゾート地を想像させるここに来たことは何度かあるが宿泊するのははじめて。祐希にはプールで泳がしたかったが、昨日から「手足口病」のため断念する。

台風一過の翌日は、素晴らしい秋晴れの天気。ホテルから太平洋を眺めると、沖の方の海の色は黒い。黒潮が流れているのがよくわかる。

高知はこのような快晴であるにも関わらず、関東は台風のため大荒れ。高知空港を始発で飛び立った朋男君が乗ったANAは、羽田の上空を何回か旋回して引き返してきた。

9月15日海辺の果樹園で食事
9月15日海辺の果樹園で食事
ホテルから眺めた太平洋
ホテルから眺めた太平洋

9月15日(日)

大型台風18号が接近する中、「第33回馬路村おしどりマラソン大会」の5kmに出場する。今回は連続出場5回目。欠場するとこれまでの4回が無になると思うと、無理をしてでも参加しようという気持ちになる。いつものマラソン仲間「マイペース」の4組が揃って参加した。

 兼清夫妻と私たち夫婦は5回目の出場であったので、「5回連続完走賞」として、クリスタルガラス製の立派な盾と馬路村産の調味料セットをいただいた。

この大会は参加賞がよい。魚梁瀬杉製のうちわ、魚梁瀬杉で作られた「森のやすらぎ毬タイプ」、Tシャツ、タオル、ゆず玉、入浴剤、ゆずドリンク、ゆずゼリーなどとてもすてきなものばかり。

この大会は、上治村長を筆頭に村の人たちの心の温かさを感じさせられる。今年も来て良かった、来年も来ようと思う気持ちにさせてくれる。

マイペースの4組
マイペースの4組
5回連続完走賞の盾を上治村長からいただく
5回連続完走賞の盾を上治村長からいただく

9月14日(土)

我が家に祐希がやってきて1ヶ月と10日になった。土日の休日には、夫婦で祐希を遊びに連れて行くのが当たり前のような生活が続いている。

イオンモール高知に「きかんしゃトーマス~えほん列車~」がやってくるというので、午前中はイオンで遊ぶ。

午後には、父親の朋男君が三連休を利用して1ヶ月振りにやってきた。

 

9月5日(水)

9月3日、18時30分よりホテル日航高知で、中田文さんの著書「恋文おまんが好きぜよ!」の出版祝賀会発起人会があった。発起人は、坂本龍馬財団とエースワンの関係者、そして中田優・文夫妻の友人たち18名であった。

高知から岐阜に向かう列車の中で読んだ。もしも、私が発起人に選ばれていなければ、この本に出会う機会はなかったと思う。森健志郎館長から、面白いとは聞いていたが、本当に面白くて感動させられた。270ページを3時間ほどで一気に読んだ。

この本は、著者の文さんが高知県立小津高校で生徒会長の中田優さんと出会い、結婚して四人の男子を産み、社会人として送り出すまでのことを書いた子育て体験記である。

長男が、「僕も、いずれ結婚して子供が生まれる。自分の子供にも、同じような体験をさせてあげたい。どんなにして僕たちを育てたのか本に書いて残して欲しい」といったのが執筆の動機である。

子供が悩んでいる時に、「大丈夫、今の思いを信じてやり続けること。ピンチの後にチャンスあり。今できることを考えて、一生懸命やって見る。道は自ずと開かれる」と諭した話や、「私の得意技は、電光石火、時は金なり命なり」「はい、了解しましたと言った後で、出来る方法を考えてたらいい」など文さんの楽天的で前向きな生活信条が紹介されている。

長男が日記に「なんかこの人のそばにいれば、人生の成功は間違いないと思う。その場その場で機転がきき、臨機応変に万事を成し遂げて行くところに偉大さを感じる」と書いている。

本の最後に書かれている、「大切なのは思いやる心 もっと大切なのは信じる心 もっともっと大切なのは ゆるす心」が、子供を立派に育てる秘訣なのだろうと感じた。

面白いだけでなく、子育てにとても参考になる本である。私の娘や知人に薦めようと思っている。

発行所は文芸社。定価は税込み1,365円である。

9月4日(水)

文科省の「地域再生人材創出拠点の形成事業」として平成20年度にスタートした岐阜大学の社会基盤メンテナンスエキスパート(ME)養成講座は、昨年度の第9期講座をもって修了した。5年間で167名のME資格認定者を養成し、当初の目標の100を大きく上回った。

ME養成講座の存続の要望が強いこと、昨年度の笹子トンネルの事故を受けてME養成の必要性が改めて認識されたことなどを踏まえて、今年度より岐阜大学大学院履修証明プログラムとして新たにスタートした。

私は、2コマの「盛土と擁壁」の授業を引き継ぎ受け持つことになった。今日がその第1回目、通算すると10回目となる。

受講生は21名。年齢は26歳から60歳と幅が広い。公務委員、建設会社、建設コンサルタントなど業種も様々。受講態度は全員極めて熱心である。

笹子トンネル事故を受けて今年度から道路施設の一斉緊急点検が始まったこと、8月4日にNHKスペシャル「調査報告日本のインフラが危ない」が放映されたこともあり、岐阜大のME養成講座が全国的に脚光を浴びている。そのため、全国各地から取材や問い合わせがあるようである。私の授業にも授業参観があった。

夜は、岐阜駅近くのそば屋「極」で、ME生全員と講師で懇親会。岐阜大のME養成講座は、知識を伝授するだけではなく、受講生と講師の出会いと繋がりを大切にしていることが大きな特徴である。

受講生はこちら


8月30日(金)
今年度第2回目の高知県橋梁会の研修会。徳島大学名誉教授の望月秋利先生にきていただき、「せん断強度度支持力」と題して講演をしていただいた。1g場(重力場)および20g場の遠心力模型実験結果、MMXモデルを用いた数値解析結果を紹介していただいた。特に興味深かったのは下記の点であった。

①土質試験から求められたc、φを用いた支持力は、テルツァギー式とよく合う。

②ピーク強度に達するまでの間に圧力球根が形成される。ピーク強度以降は圧力球根の大きさは変化しない。

③すべり面が発生するのはピーク強度が発揮された後、歪み軟化をはじめだしてから。

④荷重が傾斜して作用しても、支持力の低下はわずかである。

⑤圧縮とせん断を分離した二重付加面型モデル(全歪み=弾性+塑性圧縮+塑性せん断)であるMMXモデルを用いると模型実験結果と合う。

⑥日本のマニュアルで設計すると過大設計になりすぎる。コスト競争の厳しい海外では通用しない。

久し振りに素晴らしい講義を聴かせていただいた。

研修会の後は、講師の前田秀夫氏、望月秋利先生と橋梁会役員等により「ザ クラウンパレス新阪急高知」のビアガーデンで恒例の暑気払いをする。

8月24日(土)
今日は土佐神社の「志那祢祭」。別名「しなね様」と言われ親しまれている。しなね様は、秋葉様、

御神穀(おみこく)様と並ぶ土佐の三大祭りの一つ。24日から夜通し続き、25日の昼過ぎに終わる神祭である。宵宮の今夜は、参道に約150の夜店が並んで約5万人の人出で賑わう。

しなね様には、境内を清めるように必ず雨が降ると言われているが、本当に雨が降った。そのお陰で、昨日まで高知市は最高気温が30度以上の真夏日が連続50日に達していたが、今日は少し涼しくなった。「しなね様が終われば夏が終わる」といわれている。涼しくなればよいが。

夕方、孫の祐希 を連れて「しなね様」に行き、輪抜祓所でお祓いをしてもらう。土佐神社にある輪抜祓所は、大きな御神木の杉の木の輪切りにしたもの。輪を抜けることにより心身が祓い清められ大木の長寿や、たくましさを授かる御神徳があるそうだ。


8月23日(金)
共同研究「高エネルギー吸収型落石防護工等の性能照査技術に関する研究」の第2回目の打合せが、14時から17時過ぎまで秋葉原にある土木研究センター本部であった。

夜は、わが社の顧問の望月氏、藤原氏らと新宿にあるホテルセンチュリーサザンタワーの20階にあるレストラン「トリベックス」で窓の外に広がる夜景を楽しみながら食事をする。

 

8月17日(土)

今日も高知は暑い。10時から3時間ほどサンピアセリーズのプール遊び、夜は近くの公園で花火遊びを孫とつき合ったが、それ以外はひたすら家に閉じこもって自叙伝「土木技術に魅せられて」の執筆に専念する。

サンピアセリーズのプールで大はしゃぎ
サンピアセリーズのプールで大はしゃぎ
境丸公園で花火
境丸公園で花火

8月16日(金)

高知県観光特使になったプロ歌手のOTOGIが、はりまや橋商店街でライブをするというので家族で応援に出かけた。

クマゼミの死骸を見つけた。今年は猛暑日が続き、早朝から嵐のようなクマゼミの合唱に目を覚まされたこともあったが、そろそろ秋の気配が感じられる思いがした。

 クマゼミの 死骸見つけて 秋の風  (久し振りに読んだ駄作)


8月15日(木)

今日は終戦記念日。玉音放送を聞いた世代が少なくなり、終戦記念日が形骸化しつつある。そのことがあって、「第1回夏休み子ども・龍馬フォーラム」が桂浜荘で開催された。全国から参加した小4年生から中1年生の龍馬ファン20名が、森健志郎龍馬記念館館長の司会の下に、戦争と平和、龍馬と命をテーマに語り合う企画。

森館長の「龍馬のどこが好きですか」「今は平和と思いますか」「龍馬は薩長同盟、船中八策など偉業をなすには、どのような人の協力や影響を受けたと思いますか」などの質問に対して、意見を述べるのであるが、豊富な知識としっりした考えをもっているのには驚いた。このような子供達がいれば日本の将来は安泰と感じた。それにしても今の子供の情報量はすごい。私の子供の頃には、身の回りのことを知っているだけであった。領土問題や核問題、地域紛争など世界情勢を語ろうなどとは想像もしていなかった。

11時からの休憩時間に、オカリナ奏者の本谷美加子が、「オカリナマーチ」「マッコリ」「新相馬節」「故郷」の4曲を演奏してくれた。本谷美加子にお会いしたのは、平成19年11月の娘の結婚披露宴でオカリナを演奏してもらって以来。今年の9月14日(土)には、高知県立美術館で20周年記念コンサートが開かれる。楽しみである。


盆休みを利用して祐希 の父親がやってきた。昼は春野の湯、夜は外食を予定していたが、祐希 の下痢が治らず中止。

介良小児科に言った際、待合の子供に「花火が木に隠れて見えなかったね」と、三翠園のビアガーデンのことを話していたようだ。祐希 の記憶力と言葉が豊富なのに改めて驚かされた。
花火は観るのも良いが、自ら体験するとさらに楽しい。祐希 と近くのMacで花火を買ってきて、近所の公園で花火遊びをする。

 

8月11日(日)

よさこい祭り本番2日目。今日も四万十市江川崎では昨日に続き40度を超えた。高知市も35度を超える猛暑日となった。気象庁が発表する気温は、日陰の百葉箱で測定した値である。実際の体感気温はこんなものではない。正午に中央公園の地表から1mの高さで測定した気温は、49度を記録したと高新で報じられていた。昨日のよさこい祭りで、熱中症にかかった踊り子も多かったようである。

本山さくらチームが、13時30分より「はりまや橋商店街」で躍るというので、タクシーで出かけた。

はりまや橋商店街の東口とはりまや橋公園は、たくさんの踊り子で溢れていた。演舞場が始まるのは12時30分なので、出番を待っているのである。この商店街は幅員が狭いが、テレビ中継しているので人気が高い。

本山さくらチームは、予定より約40分遅れで入場してきた。播磨屋橋を搭載した地方車に続いて、纏(まとい)を持っているのは、チームのリーダー的存在になっている中野君であった。踊りは躍動感が溢れている。年々良くなっている。特に先頭組の踊りは素晴らしい。

地方車は、今年から製作基準が一段と厳しくなった。方向指示器やバックランプ、ナンバープレート が見えななくなるのを防止するため、運転席の前、横への飾り付けが禁止になった。このため、これまでフロント部に取り付けられていた第一コンサルタント看板は、地方車の側面に付け替えられていた。昨年より派手さはなくなったものの、他のチームを凌ぐ出来映えであった。しかし、残念ながら6回目の地方車奨励賞には選ばれなかった。デザインをここ5年間ほとんど変えていないので仕方ないだろう。


8月10日(土)

第60回よさこい祭りの本番初日。過去最高の214チーム、約2万人の踊り子が参加。鳴子を両手に持って、灼熱の熱気を吹き飛ばすように乱舞する。

今日も猛暑日。夕方少し涼しくなるのを待って「菜園場の演舞場」に行く。祐希 は初めての経験。約90分間、集中して鳴子踊りを見ていた。将来はきっと踊るに違いないと感じた。


8月9日(金)

高知は猛暑が続いている。江川崎では39.3゜を記録した。夜もエアコンを入れないと汗が噴き出して眠れない。

今日は第63回高知市納涼花火大会。鏡川で約4000発の花火が打ち上げられる。三翠園のビアガーデンで食事をしながら花火を見る。


8月6日(火)
9日から「第60回高知よさこい祭り」が始まる。どのチームも鳴子踊りの練習など準備に追われている。

本山町助任にある吉野川リビング協同組合では,(株)第一コンサルタンツが協賛している「本山さくら」チームの地方車の製作が急ピッチで進められていた。

嶺北杉の無垢材を使用して製作した「はりまや橋」を載せたこの地方車は,平成20年度より連続5回「地方車奨励賞」を受賞している。今や,200を超える地方車の中で1番有名になった。今年も,多くの見物客を魅了することだろう。

今年から地方車の製作基準が厳しくなり,これまでのように自動車の前面に「第一コンサルタンツ」と大きく書いた看板を取り付けることができなくなった。今年は側面に取り付ける予定である。

8月4日(日)

昨日,孫の祐希 が東京からやってきた。娘が安静にしなければならないというので,3ヶ月ほど我が家で預かることにした。東日本震災の1週間後に生まれたので,もうすぐ2歳5ヶ月。このうちの8ヶ月ほどを私たちと一緒に過ごしている。そのせいだろう,両親が居なくても寂しそうな様子を全く見せない。

今日も高知は猛暑日。サンピアセリーズのプールに連れて行く。夏休みの日曜日とあってたくさんの親子連れで賑わっていた。娘達が幼児の頃であったので26~7年前であったと思うが,その当時とほとんど変わっていない。日本が如何に経済成長していないか改めて確認する思いがした。

祐希 はプールに入るのを最初は怖がっていたがったが,すぐに慣れて大喜び。

8月1日(木)
 9時から17時まで牟礼にある四国技術事務所で「平成25年度道路技術(構造物設計)研修」の講師を務めさせていただいた。今回の研修の内容は下記の通り。

9:00~11:00トラブル事例に学ぶ道路構造物

11:00~12:00 H24年度版擁壁工指針の改定点と留意事項

13:00~17:00 構造物設計演習

 参加者は国土交通省四国地方整備局管内の出先事務所の若手職員と地方自治体の技術職員。受講者は一昨年に比べて半減していた。近年職員の採用を減らしており,対象者がいないためのようである。参加された皆さんは大変熱心であった。構造物演習では,関数付き電卓を用いて,土圧計算,支持力計算,擁壁の安定計算,剛性パイプカルバートの設計をしていただいたが,スキルは非常に高いと感じた。

 振り返って見ると,私が四国技術事務所で道路構造物研修の講師をさせていただいたのは,昭和58年(1983)が最初であった。定期的に担当させていただくようになったのは,平成6年(1994)からである。この頃は隔年の開催であったが,平成16年からは毎年となり,平成21年度からは再び隔年の開催となっている。