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8月25日(月)
今年2回目となる高知県橋梁会の研修会を、高知会館で開催した。参加申し込みは78名。その多さに喜んでいたのであるが、出席は60名。コンサルの技術者は、台風12号、11号による豪雨災害対応に追われている。
内容は、「免震・制震構造による既設橋の耐震補強」「スーパーボックスカルバート 復興道路への対応」「徳島に架かるいろいろな橋~戦前から現在まで~」の3つの講演と、「今後における橋梁の点検・診断・修繕のあり方」をテーマにしたパネルジスカッション。どれも素晴らしい内容で、4時間があっと言う間に過ぎた。
2番目の講演をしていただいた後藤さんには、青森から来てもらった。彼の会社は、一昨年前から毎年、生産量50%増の急成長を続けている。驚異的成長を可能にしたのは「工場設備の増設」「工事班の増員」「複雑な形状のカルバートへの挑戦」の3つと話された。鷲尾社長や後藤さんらの人柄に惚れて多くの優秀な職人が集まって来た結果だと感じた。
パネルジスカッションでは、高知県、市町村、コンサル、施工業者から一人ずつ出てもらって、それぞれの立場で意見を述べてもらった。「本音の話が聞けてとても面白かった」と予想以上に好評であった。
1982年に「荒廃するアメリカ」という本が出発されて以来、インフラの維持管理の必要性が唱えられてきたが、公共事業予算が削減される中で、豪雨災害や地震災害の復旧が優先され、単なるお題目に終わっていた。
2012年12月2日に起きた中央自動車道の笹子トンネル天井板崩落事故を機に法令が改正され、トンネルや橋梁については5年に1度の頻度で、近接目視で点検・診断することが義務づけられた。国土交通省から、「道路橋定期点検要領」が発刊されたものの、誰が、どのような方法で点検・診断するのか具体の方法は示されていない。
高知県内には橋梁が約1万3千、トンネルが約350本ある。橋梁の7割は市町村管理である。点検、診断を出来るエキスパートがいない。診断や修繕計画をするにも施工図面が保存されていない。「ヒト、モノ、カネ」がない。人材の育成・確保、予算の確保など課題山積であることが明らかにされた。
研修会の後は、ザクラウンパレス新阪急高知の屋上ビアガーデンで、今日の講師を囲み恒例の暑気払いで盛り上がった。
7月20日(日)
「中谷元の選挙区を巡る旅」に参加して、赤岡町探訪に行く。赤岡町では,昨日より絵金祭りが始まっている。
この旅のメインは,創業1688年の老舗菓匠「西川屋」の与楽亭で13時から公演される「桂かい枝の独演会」を聴くこと。
開演まで少し時間があったので,高木酒造の酒蔵を見学する。歴代総理自筆の色紙,絵金風に描かれた屏風絵が展示されていた。
西川屋は,326年前の建物をそのまま使用していると女将さんから伺った。信じられないほど柱や梁は健全そのものであった。材料,作り,維持管理のすべてが良いのだろう。歴史ある建物に感心しながら,土佐藩山内家に献上していた「山の薯(いも)饅頭」と抹茶をご馳走になった。
独演会の会場は,中谷元後援会のメンバー60名で身動きが取れないほどの満杯状態。桂かい枝は45歳と若いが,古典落語、創作落語の他、英語落語にも取り組み、海外公演は12カ国、200公演を超えている。3日後にはイギリスとエジンバラで公演予定とのこと。
落語を寄席で聴くのは初めてであった。テレビで観るのに比べ100倍楽しい。観客を一瞬にしてお笑いの世界へ導く。間の取り方,観客の心理の掴み方、さすがプロの噺家。話術には感心させられた。
7月18日(金)
橋梁会では,昭和57年に高知東道路の小篭高架橋(長崎高架橋)と鉄建ブリッジ(高知鉄建)の工場を見学して以来,ほぼ毎年見学会を実施している。瀬戸大橋には,昭和59年と昭和63年に行っている。
今年の見学会は,瀬戸大橋北備讃瀬戸大橋A1の巨大なアンカーレッジの内部,国道2号松永道路の平トンネル(L=230m)工事,神村高架橋(L=232m,PC4径間連続ラーメン箱桁橋)のPC上部工事の3箇所。参加者は18名であった。
瀬戸大橋では,本州四国連絡高速道路(株),平トンネルでは国土交通省福山河川道路事務所の舛迫和弘監督官と(株)鴻池組の三浦邦武所長,神村高架橋PC上部工事では(株)フジタの五ノ井淳所長に大変お世話になった。
帰りは,西条市のアサヒビール園伊予西条店に寄って,特選ラム肉ジンギスカン食べ放題・飲み放題に舌鼓を打ちつつ,参加者の懇親を深めた。
3年後の平成29年には,橋梁会は創立40周年を迎える。その年には,海外の橋梁を見学したいものである。
7月7日(月)
平成25年度は,建設産業界にとってかつて経験したことがないような好景気に恵まれた。香長建設,四国土建,四国開発といった高知県を代表する建設会社が次々と倒産した6年前には,想像もできなかった復活ぶりである。
友人の建設コンサルタント会社の社長は,「過去最高の売上げと利益を計上できた。どこにも負けない額のボーナスを支給し,社員旅行は台湾へ行った」と話していた。
東北のコンクリート製品会社の社長は,「平成24年度の3倍の売上げをし,過去最高を記録した」と喜んでいた。注文がいくらあっても,製造・販売体制「人,モノ,カネ」が整っていなければできない。余剰の人員や設備を抱えていたわけではない。誰もが思いつかないような工夫をしたことで3倍の売上げが達成できたようである。できない理由を述べる人は多いが,どうすればできるかを思いつく人は少ない。ここが,企業が急成長できるかどうかの分かれ目になるようである。
7月5日(土)
第一コンサルタンツでは、平成20年度より毎年7月に経営方針発表会を実施している。第7回目となる今回は、外部のお二人に特別講演をしていただいた。
関西学院大学丸ノ内講座で「ファイナンシャルリテラシートレーニング」の講義を担当しておられる松田太一先生。松田先生は、私の高校からの友人である横井博之君の甥にあたる。演題は、「財務面から見た優良企業とは」。
JALが経営破綻した第59期と再生した後の第64期の貸借対照表を用いて、貸借対照表の見方を実に分かり易く解説していただいた。今までに財務分析に関する本を何冊か読んでもなかなか馴染めなかったが、貸借対照表を読み解くことができれば、こんなにも面白いものかと思った。
もう一人は、元NHK技術研究所の所長で、ハイビジョンTVに使用されている超感度ハープ撮像管を発明された谷岡健吉博士。谷岡先生は、高知工業高校の先輩で、昭和41年に電気科を卒業されている。演題は、「超感度ハープ撮像管発明と今思うこと」
「高卒であるが故に、さげすみを感じるような言葉を受けながら、幾多の困難な目にあったにも関わらずそれらをばねにして自分の研究を愚直に貫いた。その結果、奇跡的にハープを発見出来た」「劣等感に起因した強迫観念的ともいえるような状態が研究の原動力となり、セレンディピティを高めてくれた」と言う体験談には鳥肌がたった。
さすが超一流のお二人である。本質を知り抜いているため話に説得力がある。高度な内容であったにも関わず、私達のような門外漢にでも非常によくわかった。
6月20日(金)
岐阜大学の社会基盤メンテナンスエキスパート養成講座で,「擁壁と盛土」の講義をする。8時45分から12時までの2コマである。
昨夜,ME生たちは,先輩MEと意見交換会を行った後,駅前の「喰なべ」で懇親会をして疲れていたはずであるが,朝からの私の講義を熱心に聴講してくれた。真剣な眼差しに,社会基盤のメンテナンスを担っていくのだという大きな志を感じた。
31名のこのクラスには,技術士資格者が5名もいる。講義にも自然と熱が入った。
6月19日(木)
岐阜大学工学部のインフラマネジメント技術研究センターに、メンテナンス・エキスパート(ME)生として新しく入学された31名(内女性が2人)と、この講座を修了しMEとして現場で活躍している6名の先輩による意見交換会があった。その席に、オブザーバーの一人として私も出席した。
参加した37名の年齢は、29歳〜53歳。国土交通省、岐阜県、岐阜県内の市町村、建設会社、建設コンサタントの中堅技術者として活躍されている方である。中には、国土交通省の出張所長、技術士資格者などもいる。大阪、群馬から来ている方もいる。
それだけに、活発な意見が出された。90分があっと言う間に過ぎた。19時からは、JR岐阜駅の近くの居酒屋に席を移し、ビールを飲みながらさらに熱のこもった意見交換が行われた。
一昨年の笹子トンネルの天井板崩落事故以来、インフラのメンテナンスが脚光を浴びるようになった。太田大臣がメンテナンス元年と明言したように、公共事業は造る時代から守る時代へと完全にシフトした。いま、メンテナンスの大きな渦が岐阜大から全国に広がろうとしている。台風の目の中にいるME生たちには分からないと思うが、10年後に振り返ればととんでもないグループに入って最先端のことを学んでいたことに気づくだろう。
6月14日(土)
先日、朝のパーソナル番組「生島ヒロシのおはよう一直線」で、順天堂大の天野篤ハー教授が、「医師道の7つの条件」ということを話しておられた。天野氏は、天皇陛下の手術を担当された天才・心臓血管外科医である。「医師道」は、天野氏の造語のようであるが、武士道、騎士道、柔道、剣道、華道、商人道など道がついた言葉はたくさんある。
ならば技術者としてあるべき姿、行動規範を示したものはないものかと調べて見た。「技士道」というのがあった。京大山岳部の雪山賛歌の作詞者でもある西堀栄三郎博士(1903-1989年)が、「技士道15カ条ものづくりを極める術」という本を書かれていた。
一 技術に携わる者は、「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。
二 技術に携わる者は、感謝して自然の恵みを受ける。
三 技術に携わる者は、人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあって
も屈してはならない。
四 技術に携わる者は、「良心」の養育に努める。
五 技術に携わる者は、常に顧客指向であらねばならない。
六 技術に携わる者は、常に注意深く、微かな異変、差異をも見逃さない。
七 技術に携わる者は、創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する。
八 技術に携わる者は、論理的、唯物論的になりやすい傾向を戒め、精神的向上に励む。
九 技術に携わる者は、「仁」の精神で、他の技術に携わる者を尊重して、相互援助する。
十 技術に携わる者は、強い「仕事愛」をもって、骨身を惜しまず、取り越し苦労をせず、困難を克服することを喜びとする。
十一 技術に携わる者は、責任転嫁を許さない。
十二 技術に携わる者は、企業の発展において技術がいかに大切であるかを認識し、経済への影響を考える。
十三 技術に携わる者は、失敗を恐れず、常に楽観的見地で未来を考える。
十四 技術に携わる者は、技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、公害、安全、資源などから洞察、予見する。
十五 技術に携わる者は、勇気をもち、常に新しい技術の開発に精進する。
6月13日(金)
よさこい祭りまで2ヶ月を切った。あちらこちらで鳴子の音が聞こえる。祭りの練習が始まった。昨日,本山さくらチームの地方車が記念切手になっていることを知った。地方車には第一コンサルタンツの社名もハッキリ入っている。昨年が,よさこい祭り第60回目。それを記念して作られたもの。
ところで今年から,私の家内も「桂浜・龍馬プロジェクトぜよ!」で乱舞することになった。8月には東京にいる娘が二人の孫を連れて帰ってくる。孫と一緒に追っかけをする楽しみが増えた。
四国建設コンサルタントの坂東武社長と居酒屋大黒堂で食事をする。四国建設コンサルタントには、昭和46年から61年まで15年間お世話になった。私の青春時代を過ごした会社である。お互いの気心も知れている。これからは、お互いが良きライバルとして競い合って行けば、四国を建設コンサルタントアイランドと呼ばれるようにすることも夢ではないと思った。
6月8日(日)
書斎の棚から昨年の暮れに村山保先生から送られてきた毎日新聞(2013年12月19日)のコピーが出てきた。年間賞の歌壇の部で最高位の「天位」に輝いた,「飛び立ちて戻る当てなき特攻機 掩体壕(えんたいごう)は冬空に立つ」という村山先生の句が紹介されていた。先生は大正8年(1919)10月17日のお生まれで94歳である。今年は95歳になられる。
村山保先生の教え子に宮田隆弘先生がいる。私が高校の時に習った先生である。宮田先生は,今年の3月に徳島大学大学院博士課程を修了し,「住民主体による地域コミュニティーづくりに関する実証的研究」という論文で博士(工学)の学位を取得された。現在79歳,今年80歳になられる。
相田みつをの書に「一生勉強 一生青春」がある。お二人の先生にピッタリの言葉である。生涯学ぶことの大切さを身をもって教えてくれているように感じる。
6月5日(木)
「平和の炎賞」受賞記念ツァーの旅行記ができた。それを坂本龍馬紀念館に持って行く。ツァーで一緒だった方に発送していただくため。
森館長と前田学芸員が応対してくれた。お二人の話をお聞きして,「平和の炎」に関して疑問に思っていた2点がようやくわかったような気がした。
1つは坂本龍馬が「平和の炎賞」を受賞することになった顛末。「平和の炎」のヘルタ理事長の秘書をしているシビレさんは,ご自身が描かれた日本画の展示会をチャリティーで開催する計画をたてており、そこでオペラを歌って欲しいと友人の示野由佳さんに頼んだ。示野さんは「高知で公演をするこになっている"お龍と龍馬 愛の賛歌"を歌いたい」と応えた。「坂本龍馬とは何をした人か」と問われたので龍馬について説明をすると,[平和の炎賞」に適任ということになり,受賞に至ったようである。
2つめは,「平和の炎」のヘルタ理事長がハプスブルク家の一族であることはわかるが,本家なのか分家なのかということ。理事著からいただいた名刺には,「HERTA MARGARETE & SABNDOR HABSBURG-LOTHRINGEN」(ヘルタ マルカレーテ ハプスブルク ロートリンゲン)と書かれていた。彼女は,副理事長をされているサンドルさん(Sandor von Habsburg-Lothringen)と結婚してハブスブルク ロートリンゲンとなった。ハプスブルク家は女王マリア・テレジアの代で男系が絶えており,ローレヌ家から婿を迎えて帝位を継がせている。以後,ハプスブルク-ロートリンゲンがハプスブルク家の正式名称になっている。副理事長のサンドルさんは,オーストリア帝国領主の一人でボヘミア・ハンガリー・トスカーナの王子とルーマニア王妃イレアナの孫に当たる。もしも帝国が続いていれば,オーストリア・トスカーナの王子になられたお方である。これには驚いた。
「平和の炎賞]受賞式は,チャリティーで行われた。誰も受付をすることなく自由に会場に入ってきて,飲んだり食べたりできる。そこに天皇陛下のようなお方がいて,会場の人々とフレンドリーに話をしている。日本では信じられない光景であった。
高知県立坂本龍馬記念館では、6月1日から「平和の炎賞」受賞記念報告展が始まっている。平和の炎のトロフィー、賞状、ヘルタ理事長のサインが入った龍馬のポスター、それに5月12日から4泊6日でウィーンへ行ったで16名の写真などが展示されている。展示期間は6月30日まで。一見の価値がある。
5月30日(金)
10時より文京区千石にある地盤工学会の本部会議室で「落石対策工の設計法と計算例」の出版委員会。1月28日の委員会を最終とする予定であったが、原稿が完成しない。共著の執筆はなかなか難しい。どうにか17時半に会議を終えることができた。今年の秋までにはなんとしても出版させなければならない。
5月29日(木)
第一コンサルタンツ第二班の社員旅行。今年は社員の希望で東京2泊3日の旅。参加者は35名。昨年の台湾よりも参加率が高かった。海外よりも国内、観光よりもショッピングを好むようである。
最初の見学地は横浜の八景島シーパラダイス。水族館アクアリゾーツのイルカショーは素晴らしい。イルカショーは日本一だろう。ジンベイザメもいるが沖縄美ら海水族館に比べると見劣りする。
遊園地プレジャーランドでは、ブルーフォールすごい。1回千円。椅子に腰かけて地上107mから垂直落下する。まさに青空から落下する感じである。165才以上、高血圧の者は使用禁止。かろうじで条件は満たしているが、乗る気にはならない。頭の血管が切れてしまう。
昼食は、横浜中華街の大珍楼で飲茶(ヤムチャ)料理。中華料理は日本で食べるのが一番美味しい。口に合っている。
昼食後、社員と別れ、ホテル・グラントアーク半蔵門で開催される建設コンサルタンツ協会の定例総会に出席する。
総会後の懇親会での話題は、「公共工事の品質確保の促進に関する法律の一部を改正する法律案」一色であった。今日の衆議院本会議において、全会一致で可決された。大島会長の挨拶、来賓として来られていた参議院の脇雅史幹事長、佐藤信秋先生らの挨拶、そして長谷川副会長の乾杯の発声においても品確法改正案について話があった。建設産業界では、地域の担い手の育成および確保、ダンピング受注の防止、企業に利益が出る適正額での契約締結、計画的発注と適正な工期が大きな課題となっていた。品確法の改正では、これらの課題を解決することが、発注者の責務として明記されたことである。
建設コンサルタントの技術者は、残業が多いにも関わらず報酬が安すぎる。魅力のある職業にするには、労働時間を短縮し、給与を上げなければならない。現実的には難しい問題だと思われるが、少しでも改善されることを願っている。
総会に四国からの参加は、別枝四国支部長と私だけ。お互い、参加は初めて。話をする親しい人もいなくどうしようかと思っていたところ、東京コンサルタンツ社長の村西隆之氏が声をかけていただき、彼の友人の社長たちに紹介してくれた。吉田博先生が会長をされていた北陸道路研究会の35周年記念シンポジウムが昭和63年に金沢大学であり、村西氏と私がパネリストとして参加したことが縁で、ずっとお付き合いが続いている。
5月25日(日)
第37回小豆島オリーブマラソン全国大会の10kmに出場した。参加者は約5,400名。毎年増えている。例年一緒に参加していた村上夫妻は、申し込みが少し遅かっただけで締め切られていた。第33回、34回、36回に続いて4度目の出場である。1時間10分を切るのをが目標であったが、過去最悪の1時間19分31秒でゴール。10kmでは、1,514人中の1,195位。10km男子60歳以上では、107人中の80位。ちなみに、過去の成績は、33回が1時間6分、34回が1時間7分51秒、36回が1時間17分19秒。出張などのために17日間まったく走っていなかったのが響いた。この歳になると、練習をしないと筋肉がすぐに落ちる。家内は2週間前にひいた風邪が完治せず体調不良で完走(完歩?)するのがやっと。
昨年の大会は異常に暑く、救急車で運ばれるアスリートが何人も出たが、今年も暑かった。給水所でくれるコップの水や湿らせたスポンジ、それにシャワーのサービスはありがたかった。
マラソンでいつも思うことは、一緒に走る大勢の仲間や沿道で声援を送ってくれる住民の人々から大きなパワーもらっていることである。特に、1.5km地点と5km地点での和太鼓の応援は、折れそうな気持ちを奮い立たせてくれた。完走した後にご馳走になる小豆島ソーメンは最高に美味しい。
5月24日(土)
高知工業高校の先輩である谷岡健吉氏(昭和41年電気科卒)から、電波技術協会報FORNの2014年5月号に掲載された「超高感度HARP撮像管の発明秘話<第5回>」と題する記事が、メールで送られてきた。
谷岡先輩は、高卒の学歴でありながら、NHK放送技術研究所に勤務していたときに超高感度撮像管を発明し、東北大学から工学博士を授与された伝説の先輩である。HAERP撮像管を使ったテレビカメラが、1995年に函館空港でおきた全日航機ハイジャック事件で、未明に機動隊が機内に突入する映像が放映されたことで世界を驚かせ、一躍有名になった人である。その後、NHK技術研究所の所長を歴任され、現在は高知工科大学と東京電機大学の客員教授、メディカルイメージングコンソーシアム副理事長などをされている。
今年の5月4日に開催された高知工業高校の同窓会に、谷岡先輩は桂工会(高知工業高校同窓会関東支部)の会長として出席されておられ、懇親会で声を掛けていただいた。初対面であった。
送っていただいた記事には、「研究者にはセレンディピティが極めて重要である。これを高めるには、常日ごろから手間暇がかかっても自らの手を汚して実験等に取り組み、自分自身の目で確認し、十分な考察を加えて納得しておくことが必要である」「他人の論文を鵜呑みにしていたのでは、発見や新たな発想は生まれない」「セレンディピティには、研究対象物への愛情と執念が人一倍強いこと、人としては素直さが大切であるが、研究面では反骨精神があり打たれ強いことが大事」「人生では、やさしい人、辛辣な人、苦手な人など様々な人に出会う。そして成功よりも失敗を多く経験する。それらのすべてが、自分の意識を高めて、自己に潜む能力を高めとくれる」など、日頃私が感じていたことと同じようなことが書かれていた。
今日13時から、建設マネージメント四国高知営業所が主催で開催する講習会で、「土木技術に魅せられて~わが人生を振り返って~」と題する講演を頼まれており、そこで話す予定の内容が、谷岡先輩の書かれた記事と非常に似ており、驚いた。
講演を終えたその足で、明日のマラソンに出場するため小豆島に行く。宿泊する「ベイリゾートホテル小豆島」には、すでに兼清ご夫妻、渡部ご夫妻が来られており、一緒に夕食をする。毎年、小豆島オリーブマラソンと、馬路村おしどりマラソンで会い、一緒に食事をするのが楽しみになっているのである。
5月21日(木)
愛媛県測量設計業協会の設立40周年記念と「測量の日記念」を兼ねた記念講演が、15時30分より松山全日空ホテルであった。一般社団法人全国測量設計業協会連合会の本島庸介会長、公益社団法人日本測量協会の村井俊治会長なども出席されていた。
演題は「歴史から学ぶ日本と台湾の絆から・土木技師八田與一」に学ぶ。講師はもちろん古川勝三先生。先生の話はいつ聞いても感心する。90分の講演の間、聴講者の心をひきつける。話術が優れていることもあるが、それは事前の周到な準備によるのだろう。
懇親会の後、古川先生と一緒にスナック「華山」に行く。最近は、スナックはあまり好きでないが、ここは家で飲むような気分になり落ち着く。古川先生の知識の豊富さにはいつも感心させられる。途中から芙蓉コンサルタントの大野二郎社長も来られ、結局、店を出たのは0時近くになっていた。
5月20日(火)
JR秋葉原駅の近くにある土木研究センターで、13時から会議があった。先週、ウィーンへ行く予定があったので、私の都合で会議をこの日に変更してもらったていた。それにも関わらず2時間近く遅刻してしまった。高知空港10:10発のANA便が機材の問題で欠航。11:40発のJAL便に乗り換えたが、羽田空港が混雑していて着陸したのは40分遅れ。そのため遅刻する羽目になった。
第一コンサルタンツから矢田君と田所君の二人が、講習会のために浅草に来ていたので、浅草の雷門の近くにある「釜飯と串焼きの店 麻鳥」で一緒に食事をする。店は、娘の和恵に紹介してもらった。ここの女将の孫のしゅん君が、孫の祐希と同じ幼稚園に通っており、大の仲良し。串焼きも美味しかったが、最後に食べた鯛の釜飯は本当に美味しかった。
5月16日(金)、17日(土)
ホテルを16日の6時に出発。ウィーン国際空港から9時10分発のLH-1233便でフランクフルト国際空港へ、そこからは12時初のNH-204便で羽田国際空港へ。高知空港には、17日の朝の9時30分に到着した。
今回の4泊6日の旅には、旅行会社の添乗員が随行していなかった。フランクフルト空港での乗り継ぎで、BターミナルからAターミナルの搭乗口までの道順を間違えたり、e-チケットを往路の機中に置き忘れたり、高級セカンドバックをウィーンの路面電車に置き忘れたり、パスポートが盗まれたり、ウィーン国際空港で預けたスーツケースが羽田国際空港に届かなかったりといくつかのトラブルに遭遇したが、ウィーン在住の示野由佳さんとディーターさん、ガイドの千竃さんらに助けられ、そして15名が知恵を出し励まし合って何とか無事に帰り着くことが出来た。
オーストリアを代表する名物スイーツと言えば「ザッハトルテ」。味・品格・歴史と、あらゆる面において他の追随を許さない。ザッハトルテとは、1832年にハプスブルク家のお抱えシェフの見習いであったフランツ・ザッハー氏が皇室のために考案した、世界で最も有名なチョコレートケーキ。ウィーン・シュヴェヒャート国際空港の免税店で見つけ、森健志郎館長と共に購入した。
ただし、これは、木箱に入れられて本物そっくりであるが、トルテ発明者の長男が立ちあげたホテル・ザッハー内のカフェで味わことができる、「オリジナル・ザッハトルテ」(本物のザッハトルテ)ではない。
サイズがサイズⅠ、サイズⅡ、サイズⅢの3種類あるようである。私が買ったのは、1番小さいサイズⅠ。それでもケーキの直径は17.5cm、厚さは4,5cm(実測値)ある。立派な木の箱に入っている。値段は25ユーロ、約3,500円であった。
しっとりとしたチョコレートのスポンジと、間に挟まれた甘酸っぱいアンズジャムのダブルレイヤー、表面を贅沢に覆うチョコレートのフォンダン(糖衣)で構成されているらしいが、まだ冷蔵庫に入れたままである。何時食べようか、誰と食べようか、思案中である。
5月15日(木)
いよいよ今日が「平和の炎賞」の授与式。初日に森館長から「15日が本番であることをくれぐれも忘れんように。観光はあくまでも付録ぜよ」と釘をさされていた。
「平和の炎」は、オーストリアの名家ハプスブルク家のヘルタ・マルガレーテ・ハプスブルク・ロートリンゲンさんが2000年に設立。戦地の子供たちの支援活動などとともに、08年から世界平和に功績のあった個人・団体に「平和の炎賞」を贈って顕彰している。
坂本龍馬の受賞は、日本では前・オーストリア日本大使の岩谷滋雄(高知出身)らに次いで3番目。「自由と平等と平和」を求め、日本を世界に開く切っ掛けをつくった坂本龍馬のことを、ウィーン在住30年の高知市出身のオペラ歌手・示野由佳さんが、「平和の炎」設立者のヘルタ理事長に紹介したことが受賞につながった。森健志郎館長と示野由佳さんのお二人が、龍馬に代わって賞を受け取った。
今年の9月6日には、平和の炎のモニュメントがオーストリアから運ばれ、「平和の聖地」とも言うべき桂浜に設置されることが決まっている。日本初となる。
このような授与式であるので、さぞかし厳格な式典になるだろうと想像していたが、龍馬の受賞にふさわしく、とてもフレンドリーな雰囲気であった。私のような者が、あのハプスブルク家の人々と親しく話すことができるなどとは夢にも思っていなかった。「さすが、龍馬ぜよ」(森館長の口癖)である。
さらに驚いたのは、参加費が無料であったこと。会場や料理などの費用は、スポンサーからの協力金、チャリティー福引きから得た収入などで賄われたようである。会場には、現代絵画、絨毯、工芸品などが展示されていた。授与式の後には、民族衣装などのファッションショーがあった。出展者から広告費として徴収しているのだろう。チャリティー福引きとは、参加者の寄付金(10~20ユーロ)と引き替えに、空くじなしの券を渡すもので、これによっても利益を得ているのだろう。
ウィーンに着いて森館長から、「右城さんは、龍馬財団の事理として、授賞式で挨拶をしてもらうので何か考えといて。話す内容を書いて、通訳の方に事前に渡して」といわれた。まさか授与式でスピーチが出来るとは思ってもいなかった。このような光栄な機会が与えられたのは、第一コンサルタンツがチャリティー協力金を出していたことに他ならない。下記の挨拶文を書いて、通訳をしていただくウィーン在住の近藤愛弓さんにお渡しした。
皆さん、こんばんは。私は、坂本龍馬財団の理事をしています右城猛でございます。この度は、「平和の炎賞」をいただき、ありがとうございました。
日本の奈良や京都には、1000年以上の歴史を持つ仏像や寺院がたくさんあります。ここウィーンには、ゴシックやバロックの素晴らしい建物、世界的価値がある彫刻や絵画があります。人類の財産と言うべき文化遺産を守り、そして後世に遺してゆくためには、世界が平和でなければなりません。
私たち坂本龍馬財団は、龍馬が目指した戦争のない平和な社会を守るための活動をしています。その活動が、このような形で評価されましたことに感謝申し上げます。ダンケ シェーン。
5月14日(水)
今日は、メルク修道院を見学し、メルクからクレムスまでの30kmをクルーズ船に乗って、ドナウ川ヴァハウ渓谷を下った。
メルク修道院は、ウィーン市街から高速道路で1時間ほど西に走ったところ、ニーダーエスターライヒ州メルクの街を見下ろす崖の上に建っている。美しいバロック建築である。
メルク修道院の下の桟橋から、クルーザーに乗ってドナウ川周辺のシェーンビューヘル城、アックシュタイン城、女性像ウイレンドフ、シュピッツの町、バイセンキルヘンの町、ドゥルンシュタイン城、ゴットワイグ修道院などを見ながらクレムスまで下る。落石防護柵も随所で見ることができた。所要時間は1.5時間。
5月13日(火)
一日、シェーンブルン宮殿、美術史美術館などウィーン市内観光をする。途中、11時よりオーストリア大使館を表敬訪問した。目的は、坂本龍馬記念館がハプスブルク家の主催する団体「平和の炎」から「平和の炎賞」が授与されるということを報告するため。
大使館に入るのは初めての経験。X線検査など厳重な検査を受けて建物内に入ることができた。緊張していたのであるが、特命全権大使・竹歳誠氏にお会いして、緊張は一遍に吹き飛んだ。竹歳氏は、なんと、国土交通省の事務次官や内閣官房副長官を経験されている。その前には尾崎直道氏(現・高知県知事)の上司であったときもある。「四国地方整備局で勤務したとき、桂浜で月を観ながらの酒盛りをしたことが忘れられない。高知の酒はさっぱりして最高に美味しい。四国では高知が最も好きだ。」と、気さくに話をしてくださった。
領事館の建物の中には、日本の文化をオーストリアに伝えるための、本などが陳列されていた。その中には、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の単行本もあった。高知のよさこい鳴子踊りに使う「鳴子」も陳列されていた。
ウイーンは、街全体が美しい美術館である。130年から150年前に造られたゴシックやバロック建築、世界的価値がある彫刻や名画がたくさんある。とても1日や2日で見終えることはできない。
人類の財産ともいうべき美術品を後世に遺していくには、原発事故や戦争のない平和な世の中を守っていく必要があるとを感じた。
今日の、ディナーはウイーン市庁舎の地下にある市営のレストラン。スープ、サラダ、豚カツ、そしてデザートが出てきた。フランス料理のような手の込んだ高級料理を期待したが外れた。豚カツはボリュームがありすぎて1/3は残した。日本料理に比べると繊細さがないと感じた。
20時15分から22時まで、クアサロンでコンサート「Strass & Mozart Konzerte」に行く。元々、音楽に興味がない上に、アルコールが入っていたのでほとんど夢の中であった。
疲労のためだろうか、老化現象だろうか、寝室で足が硬直状態になった。
5月12日(月)
羽田国際空港11時25分発のNH223便でフランクフルトへ。事前に近畿日本ツーリストの北村さんから、Bターミナルに到着し入国審査を済ませてからAターミナルのウィーン行きOS132便の搭乗口までの道順を聞いていたが、ターミナル内の移動はとても分かりづらかった。その上、移動距離が半端ではなく長い。幸いなことに、龍馬財団の一行15名は、年齢は高いが健脚ばかりであるので無事搭乗できた。
オーストリアに入り、飛行機が高度を下げてきた。下を眺めると、広大な平地が広がり、畑が作られている。作物が何かは識別できない。フランクフルトからウィーンまでは、日本のような急峻な高い山がない。何を作っているかは識別できないが広大な畑が広がっている。
風力発電の風車が無数に立っている。1000基は優に超えているように思えた。オーストリアには、稼働中の原発は1基もない。2015年度までに原発電力の輸入ゼロを目指し、再生可能エネルギーを推進している。
オーストリアは北海道くらいの面積に、840万人が住んでいる。電力の60%を水力が占め、風力発電はまだ3%にすぎない。
5月11日(日)
「江戸ワンダーランド日光江戸村」は、株式会社時代村が運営する「江戸ワンダーランド」の一つ。1986年4月に開設された。総敷地面積は15万坪。江戸時代中期(元禄から享保年間)の町並みを再現したテーマパークである。
江戸職業体験、変身処など12の体験処、屋形船、手裏剣道場など4カ所のお遊び処、両国座、北町奉行所など7つの劇場、それに11店のお食事処がある。
北町奉行所で「遠山の金さん」、両国座で人情芝居、第忍者劇場で忍者の太刀回り、水芸座で水芸、文化劇場で吉原の花魁遊びを観る。大衆演劇のようなおばさん受けするイケメン役者はいないが、芸は上手。
甲賀不思議屋敷、忍者怪怪亭、忍者からくり格言迷路を体験する。忍者怪怪亭は、建物が傾斜して作られているため、自律神経が狂って平衡感覚を失う。家内などは、見ただけで気分が悪くなったといっていた。
全部を観て体験しようとすれば、丸一日はかかる。時間の都合で見れなかったが、華麗な花魁(おいらん)道中は人気があるようである。
スペーシアでスカイツリー駅まで帰る途中、近鉄日本ツーリストから電話があった。ウイーン天候についてであった。スマートホーンをカバンから取り出したまま、しまうのを忘れてしまった。気が付いたのは、娘たちが住んでいる墨田区のマンションに着いてから。ラッキーなことに、終点の東武浅草駅に保管してくれていた。
5月10日(土)
スカイツリー駅を10時3分発の特急スペーシアで鬼怒川温泉に行く。家族揃って行く予定であったが、和恵と孫の航希は風邪のため家でお留守番。スペーシアの個室は、なかなか快適である。2時間で鬼怒川温泉駅に到着。
東武ワールドスクエアには、ユネスコの世界文化遺産に登録されている45物件を含め、21ヶ国102点の建築物や遺産などを1/25の縮尺で精緻に再現した世界建築博物館ともいえるテーマパークである。イタリアのコロッセオ、ピサの斜塔 、サン・ピエトロ大聖堂 、フランスのヴェルサイユ宮殿、スペインのアルハンブラ宮殿 、サグラダ・ファミリア 、中国の故宮、万里の長城、韓国の景福宮、日本の法隆寺、巌島神社などがある。
姫路城の背後にスカイツリーが見える景色には、違和感があるが、テーマパークなのでやむを得ない。それにしても、道後温泉本館の前で阿波踊り、守礼門の前で長崎くんちの龍踊りをしている模型は、どうかと思う。製作者に文句を言いたくなる。
今日の宿泊は、子連れ客に人気のある「鬼怒川温泉ホテル」。鬼怒川温泉には、旅館組合に加入している旅館だけで30軒あり、2万人の収容能力があるというからすごい。
5月9日(金)
衆議院会館の福井照代議士、参議院会館の高野光二郎議員、佐藤信秋議員、参議院自民党幹事長室の脇雅史幹事長を表敬訪問させていただいた。先生方は、とてもご多忙である。それにも関わらず貴重なお時間をさいて、最近のホットな情報についてお話をしていただいた。高野議員には、佐藤議員、脇幹事長の部屋に案内していただくなど大変お世話になった。中谷元代議士、山本有二代議士は委員会出席のため生憎お留守でお会いすることができなかった。
昼前に国会議事堂を後にして、理工図書を訪問。柴山社長にお食事を御馳走になりながら、山田部長も含めて約2時間、最近の土木業界や出版業界のことについて意見交換をさせていただいた。
午後は、望月雄二顧問と藤原敏顧問に会計検査院を案内していただいた。会計検査院から皇居、汐留、スカイツリーなどの眺望が素晴らしい。
会計検査院の近くには、今年の6月11日開業される超高層ビル「虎ノ門ヒルズ」が施工中。地上52階、地下5階。東京ミッドタウンに次いで都内2番目の高さ。ビルの地下には、環状2号線(マッカーサー道路)が通っている。昭和21年の都市計画決定以降、事業化が見送られてきたが、平成元年の立体道路制度創設により、道路整備と再開発の一体事業が可能となったことで実現。
5月8日(木)
運命には周期性があり、幸運に恵まれるピークと不運に襲われるボトムが繰り返す、と言われている。今、私は、ピークに来ているようだ。最近、嬉しいことが次々と起きている。
昨年度の会社の決算が済み、その報告があった。計画を大幅に上回る過去最高の業績を上げることができた。創立50周年に相応しい結果となった。
平成元年から3年かけて研究開発したコンクリートガードレール基礎・プレガードが、新技術NETISの準推奨技術に選定された。プレガードが国土交通省から、普及啓発、活用促進を図ることが望ましい画期的な新技術として認めていただいたのである。
高知県立坂本龍馬記念館の森健志郎館長から電話が入った。「5月15日にウィーンで開催されるオーストリア・ハプスブルク家が主宰する「平和の炎賞」の受賞式で、一緒に壇上へ上がってよ」ということであった。思いもよらない名誉なことである。
今日は、わが社の重役たち8名と一緒に国分寺にある一般財団法人小林理学研究所に来ている。昭和15年に設立された、騒音、振動、低周波音などの基礎研究などをされている会社である。加来治郎理事、土肥哲也主任、横田考俊研究員に最近の研究内容について説明をしていただくともに、施設を見学させていただいた。
5月5日(月)
高知大学の原忠先生が4月1日付けで教授に就任された。これまでの業績が評価され、39歳という異例の若さでの就任である。その記念講演会が15時より物部キャンパスで、19時からはザ・クラウンパレス新阪急高知の薔薇の間で祝賀会があった。祝賀会の名称は「こぶ平改め地盤家三平襲名披露祝賀会」。参加者は、原先生ご夫妻を含め20名。GWのど真ん中であるが、全国から原先生の研究仲間、教え子、そして私のような原ファンが集結した。皆さん、私以外は若い。会場は、明るくエネルギーが満ち溢れていた。
原先生は、お礼の挨拶で、これまで以上に「教育」「研究」に力を注ぎ、「地域と仲間」のために貢献したいと抱負を述べられた。
原教授の今後益々の活躍をご祈念申し上げます。
5月4日(日)
15時30分よりザクラウンパレス新阪急高知で高知工業高校の同窓会があった。
高知県立高知工業高等学校の前身は、私立高知工業学校。1912年(明治45年)に宿毛市出身の実業家竹内綱・明太郎親子によって創立された。竹内綱は、吉田茂の実の父。開校記念日の5月4日に同窓会が毎年開催されている。GWのど真ん中に当たる。
高知工業高校の卒業生の多くは、県外で働いている。卒業生が帰郷するには、5月4日が良かった。しかし、それは、昔の話。交通が便利になり、休日が増えて簡単に帰郷できるようになった。それよりもGWは飛行機のチケットが高い。購入するのも難しい。若い人は家族で旅行する。学校ではクラブ活動の行事が目白押しである。わが社には高知工業高校のOBが18名いるが、私を含めて3名以外は予定が入っていた。5月4日の開催は百害あって一利なし。来年度からはGWを避けて開催することを希望する。
懇親会への参加者は約180名。約80名は卒業半世紀組。昭和39年の東京オリンピックの年に卒業した組である。半世紀組を代表して、元・高知県橋梁会の理事・副会長の川上剛男氏がお礼の挨拶をされた。
乾杯は、最高齢の村山保先生が音頭をとられた。詩吟で鍛えているだけあって、声に艶と張りがある。94歳とはとても思えない。
東京の同窓会・桂工会の会長をされている谷岡謙吉氏から声を掛けていただいた。昭和41年電機卒の先輩である。元NHK技術研究所所長。研究者時代にハープ現象を発見し、超高感度カメラ・ハープカメラを開発。スーパーハイビジョンの開発も主導。恩賜発明賞など多数の賞を受賞。現在は高知工科大学と東京電機大学客員教授、一般社団法人メディカル・イメージング・コンソーシアムの副理事長をされている。高卒であるにも関わらず東北大学から博士(工学)の学位を授与されている。高知工業高校伝説の大先輩である。
その大先輩から、「右城さんの学位取得を報じた高知新聞の記事(平成9年10月31日)を覚えている」とおっしゃっていただいた。初対面の尊敬する大先輩から、このように声を掛けていただき、天にも舞い上がる思いがした。
「人生、出会うべき人には必ず出会う。しかも、一瞬遅からず、早からず。しかし、内に求める心なくば、眼前にその人ありといえども縁は生じず」(森信三)
谷岡先輩との出会いが、私の今後に大きな影響を及ぼす予感がする。
5月2日(金)
4月13日に高知県民文化ホールで「お龍と龍馬 愛の賛歌」のコンサートが開かれた。それを企画した高知県立坂本龍馬記念館(館長 森健志郎)と、愛の賛歌を歌った示野由佳、ディーター・パッシング夫妻があの有名なオーストリアの王家・ハプスブルク家主宰の平和団体から平和貢献者として「平和の炎』賞を受賞することになった。
栄えある表彰式に、示野ご夫妻以外にも日本から森館長をはじめ15名がツアーを組んで参列する。坂本龍馬財団のメンバーとして、坂本登氏、竹内土佐郎夫妻、森直樹夫妻、それに私たち夫婦も参列する。高知県からは、尾﨑知事の特命を受けて文化生活部の原哲副部長も参加される。
18時30分、桂浜荘にツァー参加者11名が集まり、顔見せ、自己紹介、近畿日本ツーリストによるツァー説明があった。
オーストリアの国旗は二曳。白地に赤い横線が2本入っている。奇遇にも海援隊旗と同じである。高知県は森林率が84%で全国一の森林県であるが、オーストリアも森林率47%(世界第47位)の森林国。高知県では、直交集成板CLT(Cross Laminated Timber)を建築構造躯体に利用する普及活動を全国に先駆けて実施しているが、CLTは1995年にオーストリアを中心として発展したもので、ヨーロッパでは戸建て住宅、6~10階の中高層集合住宅にCLTが用いられている。
森館長は、挨拶で「平和の炎賞を授与されるのは、西郷隆盛でも桂小五郎でもない。坂本龍馬である。その龍馬の代理で、私が賞を受け取る。感無量だ」と話された。世界を夢見た龍馬の力で、高知県がヨーロッパへ進出できるチャンスになるかも知れない。すごいことが始まりそうな予感がする。
4月25日(金)
第一コンサルタンツに今年入社した11名を含む若手社員27名と幹部社員6名で研修旅行を行った。四国技術事務所のユニバーサル体験施設と土木構造物実習施設を体験して、午後は瀬戸大橋を見学するコース。
四国技術事務所までの約2時間は、楠本雅博部長がコンクリートやトンネル、前田秀夫技師長が橋梁を題材にした車中講義。西川徹部長は帰路で講義する。
四国技術事務所では、車椅子、白杖を用いた歩行体験でユニバーサルデザインを学んだ。また、土木構造物実習施設では、電磁波レーダー、電磁誘導、超音波、テストハンマーを用いたコンクリート構造物の非破壊検査手法を体験させていただいた。谷脇副所長をはじめとする職員の皆様には大変お世話になった。
午後は、私だけが高松テレサで下車。地盤工学会四国支部の役員会及び定例総会に出席するため。
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国土交通省では、平成25年を「社会資本メンテナンス元年」と位置づけ、インフラの老朽化対策についての、総合的・横断的取組を推進すると発表した。さらに、平成26年3月31日には道路の維持修繕に関する省令が公布され、わが国にある約70万橋の橋梁と1万本のトンネルを、国が定める統一的な基準により5年に1回の頻度で、近接目視による点検を行うことが義務づけられた。7月1日から施行される。
わが国では昭和29年に道路整備5カ年計画が閣議決定されて以降、60年間にわたりインフラ整備が積極的に進められてきたが、国土行政は「作る時代から護る時代」へと大きシフトした。
今日の研修会に参加した27名の若者たちの中から、これから始まるメンテナンス時代の立役者になる人が多数現れることだろう。
4月20日(日)
久しぶりにTBS「がっちりマンデー」を観た。テーマは「片足伸ばしビジネス」であった。世の中は変化する。変化するニーズにうまく対応した企業を紹介していた。
オーディオテクニカは、元々はレコードの針を作る会社。CDの出現で危機感を感じ、開発したのが寿司を握る「シャリ玉マシン・ぽいぽい」という機械。回転寿司の「くら寿司」などで使われる大ヒット商品となっている。ただし、それまでには流しソーメンマシン、温泉卵マシンなどにチャレンジしたが失敗に終わっている。
ヘルメット防水株式会社は、潜水夫が着るウエットスーツの会社。その生地と縫製技術を利用した「湯たんぽ」が世界的なヒット商品となっている。10年前に、社長の姉さんが電話で「いま、湯たんぽが売れている」といった一言で思いついたようである。
サンスター株式会社は、チューブに入った歯磨き剤の製造販売会社。元々は自転車の部品メーカー。タイヤのパンク修理に使用するノリの製造技術を応用した。
富士フィルムは、写真フィルムの製造に用いるコラーゲンの研究を80年間やってきた会社。その技術を化粧品に生かして成功した。写真フィルムで世界二大企業の一つであった「コダック」は、変化する社会に適応できずに経営破綻した。
橋梁やトンネルなどの道路施設も新たに造る時代から、維持管理や修繕する時代に変わっている。当然求められる技術も変わらなければならない。このことを改めて強く感じさせられて。
中谷元国政報告会が17時からザ・クラウンパレス新阪急高知であった。
自由民主党の高市早苗政調会長、福井照衆議院議員、高野光二郎参議院議員、尾﨑正直高知県知事をはじめ高知県会議員、市町村長ら大勢の議員や党員が参加していた。3階の花の間と蘭の間は参加者で溢れていた。
参加者全員に「蝸角の争」と題する104頁の冊子が配布された。「かかくのそう」と読む。「蝸角」とは「カタツムリの触角」で「極めて狭小な世界」を意味する。「蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争い」と同じ意味で、「小国どうしの争い」つまり「つまらない事で争う」ということである。
この冊子には、民主党の野田政権末期の平成24年11月から現在に至るまでの国政での出来事や高知の行事が、2部構成で紹介されている。1部は句集である。50の俳句と写真が掲載されている。2部には日付入りでその日の出来事と中谷元代議士の政治に対する考えが述べられている。わが国の政治の中枢で活躍されているだけに内容に重みがある。
4月18日(金)
高知県橋梁会の研修会が高知会館であった。JFEエンジニアリング(株)の平本高志、(有)坂本鉄工所の坂本洋一、(株)第一コンサルタンツの矢田康久、四国技術事務所の谷脇準蔵、(株)高知丸高の高野広茂の5氏にそれぞれ講演をしていただいた。
最後に、私が聞き役となって、高野広茂社長に技術者人生を語っていただいた。高野社長は、昭和42年、30歳の時に高知丸高を起業。ロックオーガー工法などの岩盤掘削工法をいち早く導入して全国的に杭基礎工事を展開する一方で、その技術を発展させたセクシピア工法、ステップブリッジ工法という橋梁を開発。2004年にスマトラ沖地震が起きてからは、南海トラフ巨大地震に備えるために津波避難シェルター、フロート式津波避難艇、水陸両用作業車などを次々と開発し、ものづくり日本大賞など多くの賞を受賞されている。
高知県には、他県に比べて大きな企業が少ない。しかしながら、建設業の分野では高野社長以外にもサイレントパイラーやコンクリートポンプの開発で大きな功績を残した故・垣内保夫社長、技研製作所の北村精男(あきお)社長、和住工業の横矢忠志社長といった先輩方がいる。
企業家として成功するには共通点があるはずである。高知県の将来を担う若い技術者に参考となる話をして貰いたい。このような思いから高野社長に、過去を振り返りながら技術者として何が大切かということを語っていただいた。橋梁会としては初めての試みであったが、とても好評であった。
4月17日(木)
高知大学の原先生がこの4月から教授に就任した。39歳では異例の若さである。2010年に和歌山高専から准教授として高知大学に来られ、わずか4年である。
教授になるには査読付き論文が20本以上、かつ最近の5年間にファーストオーサーの論文が5本以上という実積の他に、社会的活躍が必要とされている。3.11東日本大震災以降の原先生の地震防災に関する研究や委員会活動等が高く評価されての教授昇格である。
近い将来、高知県は南海トラフ巨大地震に襲われ、甚大な被害が発生することが懸念されているが、原先生には高知県における防災教育の中心的存在として大きな活躍が期待されている。
高知県地盤工学研究会の誇りであり、高知県の大きな宝である原先生の教授就任祝賀会が、土佐卓袱料理の店「葉山」で開催された。
4月13日(日)
「お龍と龍馬 愛の讃歌」が県民文化ホール・オレンジであった。30年前からウィーンで活躍しているオペラ歌手示野由佳さんと夫のディーター・パッシングさんによるリサイタルである。生憎の雨日和であったが会場はほぼ満席。森健志郎館長の必死の呼びかけの賜物。
第1部では、お二人によるオペラが5曲歌われた。本場のオペラは迫力満点。歌のことは分からないが、澄んでよく通る声質と声量はすごかった。まるで体全体が一つの楽器のようである。
第2部は、高知県立龍馬記念館の前田由紀枝学芸員の脚本による「お龍と龍馬 愛の讃歌」。土佐弁によるユーモアたっぷりのオペラ。龍馬に扮し土佐弁を話すディーターは愛嬌満点。面白かった。 その中にも、「平和が大事、原発はいかんぜよ」というメッセージがしっかりと織り込まれていた。
5月15日には、ウィーンのハプスブルク家主催の「平和の炎」より「平和の炎碑」が授与されることが決まっている。龍馬に代わって森館長が授与式に行くと紹介があった。
16時から、高知工業高校同窓会(会長 包國勝)の理事会。18時より帯屋町の土佐ノ國 二十四万石で懇親会があった。
そのあと、包國先生に誘われて、佐々木菊雄先生と一緒に中宝永町のスナック小壺に寄る。カラオケ愛好家には知られた昔からの店のようである。高齢の夫婦が営なんでいた。店に入るなり包國先生はマイクで熱唱された。20数年来この店に通い、相当練習をされているようであった。歌と酒と人が何よりも好きだった玉井佐一先生を想い出した。
私にもカラオケを勧められたが、ここ10数年来マイクを持って歌ったことがない。戸惑っていたところへ、老婆と3名の男性が入ってきた。男性は老婆の息子で私と同世代である。老婆は91歳であるが、10~15歳は若く見える。3人の息子がときどき集まってきて食事をし、そのあとはここに来てカラオケを楽しんでいるとのこと。
老婆の歌が上手なのには圧倒された。声に張りがあり良く出る。音程も抜群に良い。NHKの素人のど自慢が高知に来た時に出場し、鐘を3つ鳴らしたと息子が話してくれた。30数年前から役人を退職した夫と一緒にカラオケを始め、現在のレパートリーは、手帳に書いてあるだけでも170曲あり、200曲は軽く超えるようである。ご主人には10年前に先立たれたが、この店に週3回通い、今なお衰えることなくレパートリーを増やし続けていると言うからすごい。パワーがみなぎっている。いるだけで周囲を元気にする。理想の女性である。
4月11日(金)
今日は四コン(四国建設コンサルタント株式会社)の52年目の創立記念日に当たる。18時より四コン高知支店の新築落成記念パーティーが高知パレスホテルであった。光栄にも来賓として招待していただいた。
四コン高知支店は、南海地震で津波浸水が予想されている北本町にある。3年前の3.11東日本大震災を切っ掛けに、社屋移転を決断されたようである。
昨日、引っ越しで取り込んでいる最中のところへお邪魔して、新社屋の中を案内していただいた。新築した一宮東町5丁目は、土佐神社の参道入り口に近くにある。ここなら津波の心配はない。高速道路のインターに近い。隣はコンビニ・サンクスで、スーパーマルナカにも近く、大変便利な場所。そこに、高知県建築士会会長の依光成元氏の設計による2階建ての広々とした近代的オフィスが建設されていた。
パーティーに列席されていた板東武社長、天羽誠二常務取締役、久保賢二常務取締役、小川修取締役、坂本正志執行役員、福田茂執行役員、高知支店の藤本芳信部長、近藤春夫部長など四コンの幹部は、私の昔の同僚である。私は、昭和46年2月から昭和61年3月まで15年間、徳島の四コンの本社に勤務していた。青春時代を共にした素晴らしい仲間たちが会社を発展させ、そしてこのように立派な社屋を落成させた。我が事のように嬉しく感慨無量であった。
28年振りに、昔の仲間と楽しいひとときを過ごすことができた。感謝。
4月6日(日)
第25回四万十川リバーサイドフルウォークの「ふじコース19km」に参加した。安並運動公園を市民スポーツセンターからバスで高瀬沈下橋まで移動し、そこから四万十川に沿って19kmを歩くコース。チェックポイントは高瀬沈下橋右岸(0.3km)、三里沈下橋右岸(6.4km)、佐田沈下橋右岸(9.6km)、一条神社前(17.3km)、昼食は桜づつみ公園。
歩いて見て、四万十川がこんなに美しかったのかと驚いた。四万十川の周辺には、自然がたくさん残っている。ウグイスの「ホーホケキョ」という鳴き声を聞きながら歩くと心が癒やされた。
一緒に歩いた私より少し年輩の女性は、大阪生まれで大阪育ち。10年前から参加し、今年が9回目と話された。四万十川の魅力に取り憑かれた彼女の気持ちがよく分かる。
全てのチェックポイントと昼食場所には、仮設トイレと給水所、キャンデーが用意されていた。休憩所の桜づつみ公園では味噌汁、中村東下町では味噌汁、竹の子が入った炊き込みご飯、ゴールの市民スポーツセンターでも味噌汁の温かいおもてなしがあった。
ゴールは13時。4時30分で完歩することができた。
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4月5日(土)
明日の四万十川リバーサイドフルウォークに参加するため四万十市に入る。
夕食は、天神橋アーケード内にある「居酒屋なかひら」。中村(四万十市)はどの店で食べても魚が旨いが、「なかひら」は格別。漁師が獲れたての新鮮な魚を直接店に持ってくるから鮮度が全然違う。
予約していた18時に入ると、店内はフルウォーク参加者で満席状態であった。
隣の席は10名のグループ。明日の「かわせみコース30km」に参加する広島の三菱電機の社員たち。店への手土産に「紅葉饅頭」を持参していた。これに大将から「刺身の盛り合わせ」のお返しがあり、盛り上がっていた。
私は糖尿病であることをすっかり忘れ、カツオとヒラマサの刺身の盛り合わせ、手長エビの唐揚げ、アンコウの唐揚げ、アオリイカの刺身、タケノコの煮物、にぎり寿司、生ビール、焼酎のお湯割りなどたらふく飲み食いした。家内と2人なので1万円は軽く超えると思っていたが、なんと7千円強。この安さには驚いた。
4月3日(木)
地盤工学会四国支部の会計・事業監査をするため、香川大学を訪問する。
途中、豊浜サービスエリアで昼食をとる。ソメイヨシノが満開であった。高知は、3月15日に全国一番乗りに開花宣言がされた。高知の桜の見頃は年度末である。仕事に追われる時期なのでゆっくりお花見を楽しむことができない。それだけに感動もひとしおであった。
高級ホテルやレストランの食材偽装、研究者による論文捏造疑惑、政治資金隠し疑惑など国民を愚弄するようなニュースが多い。それだけにソメイヨシノの清廉さを思わせる美しさに心が洗われる思いがした。
4月1日(火)
今日から平成26年度がスタートした。11人の新入社員を迎え、今年もサンピアセリーズで入社式を盛大に行うことができた。
昨年の11月29日、わが社は創立50周年を迎えた。今年は、100年企業に向けての新たなスタートの年である。9月には、いよいよ悲願であった新社屋の建築も始まる。第一コンサルタンツが大きく飛躍する記念の年にしなければならない。
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