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12月20日(土)
高知会館で「本山ふるさと会」の忘年会があった。出席者は、本山町から今西芳彦町長、澤田和久教育長ら5名とふるさと本山会の役員11名。今年から理事になったので、この忘年会に初めて参加した。
ふるさと本山会が発足したのは、昭和61年。私が徳島から高知に帰り、第一コンサルタンツに入社した年である。来年が第30回目の総会(設立29周年)となる。
私は本山町立小学校へ入学する児童に絵本と三角鉛筆を毎年贈呈させてもらっている。それに対し、澤田教育長からお礼の言葉を頂戴した。児童が、私宛に年賀状を書いてくれているそうである。正月が楽しみだ。
話題は、本山町の課題である人口減対策。来年、小学校に入学する児童は町全体でわずか25名。このままでは私を産み育んでもらった故郷が消滅してしまう。安倍政権の目玉政策である「地方創生事業」を活用して何とかしなければならない。かつて活気のあった本山を取り戻す最後のチャンスになるような気がする。
昨日は、3次会まで行った。つい飲み過ぎてしまった。今日は飲むまいと心に決めて参加したが、町長をはじめ本山町の幹部が遠路来られているので飲まないわけにはいかない。本山創生の夢を語っていると、つい本山の流儀で返杯を繰り返していた。
12月19日(金)
高知県橋梁会の今年3回目の研修会。会場はいつもの高知会館。忙しい年末にも関わらず71名が参加してくれた。
講師は、日本構造技術研究所の則武邦具社長、日特建設の松原健蔵部長、高知工業高校の山岡稔幸教諭、ダイクレの濱田卓嗣部長、高野光二郎参議院議員の5名。第一線で活躍されている大変忙しい方ばかりである。そのような先生方が手弁当で、東は東京、西は広島から駆けつけてくれた。
則武社長は日本におけるPC橋梁の黎明期からずっと設計・施工に携わっておられる。そうでなければ知り得ない貴重な話をしていただいた。松原部長からは、コンクリートの延命化技術であるアドバンテージ工法を説明していただいた。山岡教諭からは、土木学会の橋梁模型コンテスト全国大会で最優秀賞に輝いた模型「コブラ」の製作秘話を披露していただいた。濱田部長からは、新製品「グリーンパネル」の開発段階からダイクレの稼ぎ頭に成長するまでのエピソードを披露していただいた。高野先生からは、先生が関係している中小企業・小規模事業者を対象にした支援情報サイト「ミラサポ」、国土強靱化、地方創生、集団的自衛権など最新の話題をかみ砕いて分かり易く説明していただいた。
最後に、高知県土木課の課長や観光振興部の部長を経験され、今年の10月末に退職された久保博道氏に、来年春の統一地方選挙に立候補する思いを披露していただいた。
研修会の後の忘年会は、50名を超える参加者があり盛会であった。高知工科大学の國島教授も参加されていたので、来賓の挨拶を頂戴した。
平成26年を締めくくる研修会に相応しい、素晴らしい内容であった。平成20年には公共事業がピーク時の1/3まで落ち込んだが、その後徐々に増え、昨年は消化しきれないほどの発注があった。今年も昨年ほどではないが多い。仕事があると研修会への参加人数が多くなる。参加者に笑顔が溢れている。
12月17日(水)
吉村昭の小説「漂流」を読んだ。江戸時代に土佐国岸本浦(現在の香南市香我美町岸本)の船乗りをしていた野村長平の話である。
土佐手結沖で船が難破し、14日間漂流した末に、八丈島南方の無人島「鳥島」に漂着。湧き水も草木もない島で一人、アホウドリと魚介類を食べ、雨水を飲んで生き延び、後に漂着してきた13名と力を合わせ、流れてきた鍋を溶かして釘を作り、木材を拾い集めて伝馬船を作り、12年半ぶりに島から脱出して帰還するという話である。
無人島に流れ着いた仲間が次々と死ぬ中で、長平が生き延びることができたのは、①前向きな性格、諦めずに頑張れる精神力、信仰心を持っていたこと。②栄養のバランスが獲れた食事と毎日身体を動かすことを心掛けたこと。③話し合える仲間に巡りあえたことの3点であった。これは、現代社会を元気に過ごすことにも通じる。
もし、現代人が無人島に流されたらどうだろうか。現代社会は、複雑に分業化され一人の力で物作りができない仕組みになっている。ふいごを作り、鉄鍋を溶かし、釘を作るなどとてもできない。渡り鳥であるアホウドリを干して夏場の保存食にするなどの知恵がでるだろうか。
ネットで調べると、香我美町岸本には野村長平の墓があり、土佐くろしお鉄道の香我美駅前には長平の銅像が置かれ、毎年5月には岸本で「無人島長平まつり」が開催されているようである。高知に住んでいながら知らなかった。
12月14日(日)
第40回安芸タートルマラソン全国大会に出場した。第36回、第37回に続いて3度目。今大会の参加者は1049名。選手宣誓は最高齢者の永田光司さん。御年は93歳。兵庫県からの参加である。背筋がピンと伸ばして壇上から降りているのにはビックリした。
これまでは10キロの部に出ていたのであるが、今回は二人とも5キロの部に出場。沿道からは地元の方が声援を送ってくれた。野良時計の手前の2.3km付近では和太鼓の演奏による応援があった。応援があると元気をもらう。しかしながら、タイムは38分12秒。家内は42分28秒。完全に練習不足である。
競技本部のある安芸市民体育館では、表彰式の前に手作り太鼓祭衆による和太鼓の演奏、3B体操、安芸市の歌手・豆電球による歌などが披露された。
12月11日(木)
理工図書の柴山斐呂子社長が高知に来られた。ホテル日航高知旭ロイヤルのレストラン「エンジェルビュー」で柴山社長を囲み、礒部組の宮内保人部長、創友の宮崎洋一社長と一緒に食事をする。
建設産業は、ピーク時の80兆円から平成20年には1/2まで市場が減少したものの、その後50兆円まで回復している。ところが、出版業界は2兆円から1兆円まで市場が縮小したまま、依然として回復の兆しが見えない。技報堂、山海堂など土木関係の図書を出版してきた老舗企業は相次いで倒産したが、理工図書だけは苦しいながらも頑張っている。
私が、理工図書から「擁壁の設計法と計算例」を出版させてもらったのは平成元年であった。以来10冊の専門書を理工図書から出版させてもらった。理工図書の月刊誌「土木技術」では、連載記事を書かせてもらうなど随分とお世話になっている。創業115年を誇る老舗・理工図書には、なんとかこの不況を乗り切ってもらいたいものである。
12月9日(火)
1年半前より産官学による共同研究「高エネルギー吸収型落石防護工等の性能照査技術に関する研究」を行っている。その中の「落石防護網の実験的性能照査手法WG」の打合せを、第一コンサルタンツの会議室で行った。私の都合で、7名のメンバーの皆さんに遠路高知へ来ていただいた。
メンバーには、高知が初めての方がいた。高知に一度も行ったことがないという人は以外と多い。高知の食文化を思いっきり堪能して貰おうと、「ひろめ市場」で食事をしている。戻りカツオの塩タタキ、安兵衛の餃子、マグロのトロなどには皆さん感動していただいた。高知に一度来れば、スッカリ高知ファンになる。
12月6日(土)
寒波の影響で、津野町は雪。明神家で、正裕君と怜佳の結婚披露があり、近所や地域の方が大勢集まりお祝いをしてくれた。ここには、日本古来の伝統やしきたりが受け継がれている。親戚や近所の人たちの絆の強さを感じる。
私も家内も両親が他界して以来、故郷が遠くなり寂しく思っていた。津野町の人々と杯を交わしていると、本当に心が癒やされる。第二の故郷ができた。
郷麓温泉に泊まる。田舎の小さな温泉宿にも関わらず宿泊客が多い。風呂上がりに食堂へ顔を出すと、泊まり客がゴルフコンペの打ち上げをしていた。初対面の方達ばかりであったが、打ち解けてすっかりご馳走になった。
12月1日(月)
「クイズ土はなぜ崩れるのかⅡ」が発刊された。4つの章から構成されている。208ページのうちの126ページが、第1章「クイズで学ぶトラブルの原因と対策」。日経コンストラクション2007年5月11日号から11年7月11日号までに掲載された30編のトラブル事例が紹介されている。著者は、私を含めた11名の土木技術者。
第2章は「災害事例に学ぶ斜面と法面の防災対策」、第3章は「事故やミスに学ぶ施工トラブル回避術」、第4章は「技術と工法で学ぶ防災対策のトレンド」
価格は2800円と安い。さすが日経BP社。
出版を記念して、10時30分より日経コンストラクション実践塾「土砂災害防止の目を養う」が御茶ノ水ソラシティカンファレンスセンターであった。講師は呉工業高等専門学校の森脇武夫教授、応用地質の上野将司技師長と私の3人。私の担当は13時から15時までで、演題は「土質トラブルに学ぶ」。①擁壁の変状とその原因、②地震による擁壁の被害事例、③落石防護工の破損と落石対策の問題点の3点について説明させていただいた。
15時15分からは、上野さんの「危ない地形を見抜くポイント」。ご自身の体験に基づいた講演は、非常に分かり易く説得力がある。
夜は、浪漫亭新橋店で上野さん、東京コンサルタンツの松尾修さん、わが社の西川徹部長と食事。松尾さん、上野さんいずれも高知の大ファン。西川部長は京都出身だが好きな高知に住み着いた。四人ともダバダ火振りが大好きな呑兵衛。カツオのタタキ、四万十川の手長エビなど高知を思いっ切り堪能しながらダバダ火振りをロックで呑んだ。西川部長は少し若いが四人ともほぼ同じ世代。しかも落石や斜面問題が専門分野。話が弾んだ。
11月27日(木)
当初の予定から3ヶ月遅れたが、(株)第一コンサルタンツ移転の起工式を関係者が集まって無事行うことができた。いよいよ、地域の防災拠点としての役割も果たす新社屋の建築工事が始まる。場所は、南海地震による津波浸水、地盤液状化の恐れがない高知市介良字北村。事業継続のための防災井戸、自家発電装置、防災教育施設、被災者支援のための避難スペースも完備する計画にしている。完成は来年7月末の予定。
「5年以内に、津波、液状化、斜面崩壊の恐れがない場所に第一コンサルタンツの本社を移転し、震度7の激震にも耐えられる社屋を建てよう」。全社員を前にして私が決意を語ったのは、平成23年6月である。宮城県の津波被災地を社員13名と一緒に視察した直後であった。
被災地を視察したとき、「津波は一切合切を奪い去る。生きる希望さえも奪う。しかし、職場と仲間が残れば、再起に向けて頑張ることができる」「震災の復旧・復興には、地元のコンサルタントの果たす役割が極めて重要になる」ということを痛切に感じた。そして、「第一コンサルタンツには、仕事がある、笑顔がある、夢がある」と社員から言われる会社にしたいと思ったのである。
そのときには移転場所はおろか建築資金の目途も全くたっていなかった。ところが奇跡は起きるのである。社員が一丸となって努力すれば天も味方し、夢が実現しようとしている。万感の思いを込めて鍬入れをした。写真は建通新聞社の岡林正士さんからの提供。
11月23日(日)
明神正裕君と次女怜佳の結婚式を高知市内のラ・ヴィータで行った。私の第一コンサルタンツの仲間や懇意にしていただいている友人たちにも出席していただいた。生涯の思い出となる記念すべき日となった。
披露宴にご出席いただいた方から、「楽しかった」「素晴らしかった」というお言葉を頂戴した。正裕君と怜佳らしい「おもてなしの心」が一杯のとてもよい企画であった。
私にも、お色直しのエスコート役という出番をちゃんと与えてくれていた。津野山古式神楽「17の舞」の中の1つである「恵比寿舞」が披露され、会場を大いに盛り上げてくれた。
11月20日(木)
恩師の宮田隆弘先生が来社された。9日の[博士(工学)取得記念祝賀会」の発起人代表をさせていただいたことに対するお礼のためである。そのときに、先生が代表編集者としてオーム社から出版された「ハンディブック土木 第3版」(650頁、4500円)を贈呈していただいた。
33名の執筆者の中には、宮田隆弘、今西清志、包国勝、茶畑洋介など元高知工業高校の先生方をはじめ、渡辺淳、安川郁夫など私が懇意にさせていただいてる先生方が名前を連ねている。
応用力学、地盤力学、水理学、測量、土木材料、鉄筋コンクリート、鋼構造、土木施工、土木施工管理、土木計画、環境世紀と社会資本、土木に必要な数学の12編から構成されている。土木工学に関する最重要事項がコンパクトかつ分かり易く収められた土木技術者必須の大作である。
オーム社から出版された本
宮田隆弘先生(右)と今西清志先生
11月18日(火)
8時半から12時50分まで愛媛大学社会基盤マネージメントエキスパート(ME)養成講座で、「擁壁の設計法」「擁壁の維持管理」「擁壁の維持管理演習」を講義。午後は、須賀さん、廣田先生と合同で「斜面と擁壁の維持管理」に関するフィールドワーク。
ME生は、国土交通省、愛媛県、市町村の職員、建設コンサルタント、建設会社に勤務する実務経験3年以上の土木技術者26名。といっても、経験豊富な方ばかりで驚いた。国土交通省の事務所長も経験された方、技術士の資格を持ったゼネコン退職者、コンサルタントの第一線で橋梁設計をされている方などである。
皆さんとても真剣に聴講されるので、講義をする方にも自然と熱が入った。
二人のME生から、「先生の書かれた“中小橋梁の計画”という本が今でもとても役立っている」と言われ、複雑な気持ちになった。二人とも橋梁設計の第一線に立って活躍されているコンサルタントの技術者である。約30年前に出版した本が役立つということは、わが国の橋梁設計に関する技術が進歩していないという事を意味する。
わが国の技術基準は、約10年ごとに改訂が行われているが、改訂される箇所は大きな不具合がある箇所だけである。橋梁計画に関して30年前からほとんど変わっていない。技術が成熟したと言えば聞こえは良いが、進歩が止まっているのは確かである。
私の技術者としての成長期というべき昭和45年から60年頃は、道路橋示方書や道路土工指針などが頻繁に改訂され、新しい研究成果が次々と採用されていた。専門誌を購読したり、学会が主催する研究発表会や講習会に積極的に参加したりしなければ、技術について行くことができなかった。それだけに、土木学会や地盤工学会に活気があった。勉強をすれば立派な技術者になれるという夢を描くことができた。今はそれがない。土木業界は若者にとって魅力のない業界となった。
新しく作る技術は成熟 したが、維持管理に関してはこれからである。研究すべきこと、技術開発しなければならないことが山ほどある。国土交通省は、昨年をメンテナンス元年とし、新設から維持管理へと方向転換した。ME生にとっては、素晴らしい時代の幕開けとなるだろう。
夜は、須賀さん推薦の海鮮料理の店「酒八」で、廣田先生、須賀さんと三人でフィールドワークの反省会。一軒だけでは反省しきれず、同い年の愉快なママさんが経営している「華山」へ。
11月16日(日)
建設コンサルタンツ協会四国支部高知県部会では、毎年、社会貢献活動の一環として高知市内の児童を対象にした自然体験イベントを開催している。今年も昨年に引き続き、「アジロ山の自然と環境を守る会」、「森の元気・お助け隊」、高知大学の学生ボランティアなどの協力を得て、「遊ぼうアジロ山自然体験&森の音楽祭」を開催した。
企画や準備は、守る会の松岡武志事務局長と第一コンサルタンツ明坂宣行取締役が中心になりお世話いただいた。
130名を超える親子連れが参加し、アジロの森散策、木のベンチ作り、みんなで距離を測ろう、森の音楽祭(坂野志麻のアコーディオン、ビスコッティによるライブ)などを楽しんだ。
11月15日(土)
津野町では、毎年、11月15日には北川河内五社神社、16日には高野三嶋神社、19日には芳生野諏訪神社で、五穀豊穣、無病息災、誓願成就を祈願して津野小山古式神楽が奉納されている。津野山古式神楽は、延喜13年(913年)藤原経高が津野山郷に入国した時に、あらぶる神の神話を劇化したもので、神官によって歌い継ぎ、舞い継がれてきている。
11月23日に娘が結婚すれば親戚になる明神正和氏から招待を受けていたので、北川河内五社神社の神楽を鑑賞させてもらった。7年前に高千穂で神楽を観たことはあったが、それは観光客用にアレンジされたものであり、神事として執り行われる神楽とは似て非なるものであると感じた。「宮入り」から始まり「四天の舞」まで18種類の舞いがある。すべてを通しで舞うと8時間を要する。今日の神楽は、セレクトして4時間に短縮されていた。神社の中に座り、料理を食べ酒を飲みながら鑑賞するのである。神楽は、人々が助け合って平和に暮らすための知恵なのである。
明神家では、河内五社神社で津野山古式神楽がある夜は、親戚や知人を自宅に招いてお客をすることになっており、私たち夫婦もお邪魔させていただいた。明神家は旧・東津野村の名家。町長をされた曾祖父さんが建てられたと言われる築100年の家屋に住んでおられる。正和さん自ら作られたサーロインのタタキ、奥様の手料理がとても美味しかった。
正和氏が予約してくれていた郷麓温泉に泊まる。宿のご主人が、「正和さんの舞を久しぶりに観たが、熱が入っていた。あんなに素晴らしい恵比寿舞は初めて観た」と絶賛されていた。昨年まで議員をしていたので何年も舞ってなかったが、私たちのために特別に舞ってくれたことを知り、感動した。
11月2日(日)
第3回目となる「中土佐タッチエコ・トライアスロン」が、中土佐町久礼で開催された。個人の部に197人、リレーの部に18チーム(54人)、合計251人のアスリートが全国から参加した。
第一コンサルタンツは、昨年度からスポンサーとして協力している。今年は、リレーの部に出場することにした。選手はスイムが明神怜佳、バイクが那須太郎、ランが吉田直起である。出場を決めたのは約1ヶ月前。このため十分な練習をすることなく大会に臨むことになった。
第一コンサルタンツのチームは,初出場ながらよく健闘した。2:29:58のタイムで堂々の第5位。ラップはスイム34:46(11位),バイク1:13:02(6位),ラン42:10(4位)であった。ちなみに,スイム1.5km,バイク40.9km,ラン10.2kmである。わが社の若者は根性がある。
11月1日(土)
高知工業高校土木科S44年卒の同窓会が帯屋勘助であった。私は病気で休学したので,席を並べて学んだのは1年間だけであるが,同窓会にはいつも呼んでもらっている。
参加者は12名であった。7名は鬼籍に入っている。大病を患って参加できなかった者,参加はしたが治療中の者,見た目は健康そのものであるが聞けば難病を抱えていたりである。
卒業から既に45年が経った。こうして集まると,希望に燃えていた青春時代が懐かしく想い出される。あの頃のように夢を語り合いたいと思うのであるが,口を開けば健康のことか昔の思い出話になる。
10月29日(水)
中国視察団一行11名は、JR高知駅を9時13分の特急南風で京都へ向かう。会社の西岡南海男専務と高知駅へ見送りに行く。そのとき、第一コンサルタンツが創立50周年記念に作った記念誌と会社のロゴマーク入り今治タオル、私の著書「擁壁の設計法と計算例」と「土木技術者に魅せられて」をプレゼントさせてもらった。とても喜んでいただいた。
来年の10月に四川国際セミナーを開催する約束をしていたが、呉氏から「それでは遅すぎる。開発が遅れる。年明けの1月には開催したい」という話があった。中国の勢いを感じた。
10月28日(火)
公益社団法人地盤工学会四国支部が主催する「最近の落石対策工に関する現場見学・学術講演会」があった。日本の落石対策技術を見学したいという北京交通大学の呉旭(Wu Xu)教授からの要望を受けて企画したものである。
参加者は中国視察団11名を含めて33名であった。第一コンサルタンツからは7名が参加した。
見学地は、一般国道32号大豊町板木野の斜面に今年の2月に完成した三角フェンス、高知南国道路稲生の工事現場で1年前に設置されたMJネット、今年の6月に完成した中土佐町久礼の津波避難タワー、県道320号須崎市安和海岸の落石防護施設群。見学会の後は「かんぽの宿伊野」で講演会。私は「日本における落石対策工の現状と課題」と題して約45分話しをさせていただいた。呂漢川氏からは、現在研究開発中の高エネルギー防護柵を紹介していただいた。とてもコストパフォーマンスに優れていると感じた。
18時30分からは、は愛媛大学副学長の矢田部龍一先生が加わり、日中技術者で親睦を図った。
10月22日(水)
18時より高知市文化プラザかるぽーとで、四国銀行の主催による経営講演会があった。講師は、元・金融庁長官の五味廣文氏で、演題は「がんれ、アベノミクス」。以下のような内容であった。
三本の矢の内の第一の矢「大胆な金融政策」、第二の矢「機動的な財政政策」は麻酔薬。麻酔が効いているうちに第三の矢「成長戦略」を射たなければいけない。第三の矢の本名は「構造改革」。血の出る手術である。
2020年までにプライマリー・バランスを均衡させると国際公約している。この約束を破ると、国債の信用が失われギリシャのように国が破綻する。日本の貿易収支が黒字を維持できているのは、日本企業の海外投資が活発なため。国内に雇用を生み出す新しい産業が誕生していない。この原因は、我が国の制度の多くが高度成長期に作られたものであり、時代遅れになっているため。少子高齢化社会にはあっていない。
老人介護施設、託児所に入るには長い行列ができている。それだけ需要があるのに、供給ができない。規制でがんじがらめに縛られているため。第三の矢を放って規制緩和をしなければ、社会のニーズにあった産業は生まれない。ただし、既得権益に守られている人たちは、血を流すことになる。
低成長時代には、法人税では対応できない。利益を得た者から税金を貰うのではなく、金を使った者から税金をとる発想に変えなければ税収は増えない。消費税を上げる必要がある。財政支出の多くは老人の福利厚生費。老人の数を減らせば支出も減る。老人を定義する年齢を上げればよい。
講師の五味氏は、昭和24年生まれの65歳。年金を受給できる歳になったが、元気でバリバリ働いており収入も多い。そのような人を老人扱いする必要はないと思った。
複雑な財政問題をテーマにした講演であったが、五味氏の話は理路整然として非常に分かり易いものであった。
10月20日(月)
昨日から第44回日韓技術士国際会議が松山で開催されている。
1971年に第1回がソウルで開催されて以来、東京、ソウルと交互に毎年10月に開催されていたが、日本では第22回の新潟に続き札幌、松江、千葉、福岡、仙台、米子、新潟、下関、名古屋と地方都市で開催されてきた。四国での開催は初めてで、参加者は韓国96名、日本184名の280名。参加された家族も加えると340名と盛会であった。
本会議は「ひめぎんHALL 2階 真珠の間」であり、9時、須賀幸一運営委員会委員長による開会宣言で始まった。
松山会議のテーマは「危機管理対策と技術士の役割」。この会議で特に印象に残ったのは,韓国の技術士交流委員会委員長の金在権(KIM Jae-Kwon)氏による基調講演「韓国の危機管理対策における技術士の役割」と,第2分科会で発表があった鈴木朗氏による「技術士としての覚悟を実践して12年」であった。
金氏は,犠牲者292人を出した2014年4月16日の大型客船「世越(セウォル)号」転覆沈没事故を取り上げ,大惨事となった最大の原因は船長や乗務員に対する教育訓練ができていなかったことにあると主張された。信じられないことであるが,船長や乗務員が,乗船客の避難誘導をすることなく,真っ先に脱出したのである。
鈴木氏の発表は,高所作業時における安全帯の完全取り組み指導に関するものであった。2003年にJR東海を定年退職後,CN建設に取締役安全部長として入社。CN建設では2003年と2004年に続けて墜落事故があり,鈴木氏に与えられ任務が「安全帯使用を習慣化させる」ことであった。経営者,幹部社員の意識改革を図り,会社の体質を変え,全社員が安全帯使用を習慣化させるまでの10年間の苦闘が紹介された。安全帯を使用することなど子供でもすぐできそうであるが,このような簡単なことでも習慣化させるには,強い使命感と情熱を持って,教育訓練を繰り返し行わなければならないことがよくわかった。
世越号の沈没事故原因には,不適切な船体改造,過積載などの問題も指摘されている。このような事故の再発を防ぐには,韓国民の意識を変える必要があるが,鈴木氏の発表を聞いて,それは容易なことではないと感じた。
18時30分からは会場を道後温泉の「大和屋本館2階大和の間」で、家族も参加した晩餐会が開かれ、日韓の親睦を深めた。
同じテーブルの私たちの左隣は、総合建築事務所(JPM Inc.)の社長のGil Hun,Jwa(ジュワ)さんご夫妻。チェジュ島から地酒の焼酎を持参していたたぎ、テーブルの皆さんに振る舞っていただいた。
日韓技術士では極めて良好な友好関係が保たれている。テレビで報道されている日韓問題が信じられない。
10月19日(日)
数年前から家内は大衆演劇の虜になっている。私は特別に興味を持っているわけではないが、家内に付き添って松山劇場で劇団炎舞(えんぶ) の公演を鑑賞した。座長は、橘炎鷹(えんおう)。観客は約70名。60〜70代の女性がほとんどであるが、中には20代の女性もいる。男性は、私を含めてわずか7名。舞台と観客が一体になって楽しめるのが大衆演劇の醍醐味。
芝居は「江戸の火消組」を題材にした、笑いあり、涙ありの「義理と人情とやせ我慢の」の話し。観客の心をつかむ橘炎鷹の演技は見事であった。
日曜日の特別公演で明日は休演ということから、座長の二人の娘さんも大阪から駆けつけ、演舞を披露された。末は劇団を引き継ぐのだろう。
18時からは野菜料理の居酒屋「SOHSOH(草草)JR駅前店」で安見和夫ご夫妻と食事をする。ここは、安見さんの有機野菜をおろしている店。若い女性客で満席状態であった。
愛橋を退職し4年が経つ。もうすっかり農民になっていた。「1年中休み無し。金にはならないが兎に角忙しい」と話されていた。facebookを見ているので、ある程度わかっていたが、充実した日々を過ごされているご様子であった。
9月26日(金)
自宅に帰るには少し遠回りになるが,海岸線に沿った国道9号線を走り,米子回りで帰ることにした。このルートを走るのは,家内と一緒に鳥取大学の榎明潔先生のご自宅を訪問したときであるので,もう10年くらい経っている。
北栄町で道の駅「大栄」に立ち寄る。ここは,平成5年にできた全国初の道の駅。その証となる石碑が,北栄町出身の漫画家・青山剛昌の作品「名探偵コナン」のブロンズ像と並んで建てられていた。店内には,ここの名産「大栄すいか」「砂丘の長芋」が並べられていた。
国道9号線を走る目的は,琴浦町の道の駅「ポート赤碕」で「のど黒」を買うため。テニスの錦織圭が「食べたい」と言った,あの山陰の高級魚である。
この店では,赤碕港で獲れた新鮮な魚が驚くほど安い値段で売られている。運良く,のど黒があった。中型サイズ4匹が1200円と安い。ついでに甘エビ,赤カレイ,そして泉田さんからのコメントで教えて貰った「牛骨ラーメン」も買う。
大山町の海岸沿いに,たくさんの風力発電が立っていた。田園風景にマッチして美しい。一瞬,ヨーロッパを旅している錯覚に陥った。
以前,鳥取県知事をされていた片山善博氏が,「鳥取県では県外に金が出るのを少しでも食い止めたいと考えて,風力発電をたくさん作った」と話していたが,風車はあまり回っている様子ではない。これで電力会社に支払う金をどれだけ節約できるものだろうかと思った。
今日は久し振りに秋晴れの良い天気に恵まれた。瀬戸大橋が一段と美しく輝いて見えた。
9月24日(水)
明日の講演のため倉吉市に入る。高知から4時間かかった。玉川沿いの白壁土蔵群では,NHKテレビが「ひるブラ」の生中継をやっている最中であった。
江戸末期から大正初期に建造された古い商家や土蔵が軒を並べた打吹地区を散策する。ここは,第53代横綱琴櫻の生誕地である。入場料無料の琴櫻記念館があった。赤瓦5号館「久楽(kuraku)」で石臼珈琲を味わう。石臼で挽いたコーヒーにあずきを入れ,ぜんざいのように飲む。
今日の宿は,はわい温泉の千年亭。東郷池の中の千年島に建てられている。ホテルの露天風呂は素晴らしい。東郷池の中に浸かっているような錯覚に陥る。ここに泊まったのは,家内が大衆演劇を観るため。9月は不動倭「剣戟はる駒座」がここで公演をしている。
9月19日(金)
高知県建設技術公社の研修室で、「擁壁等の構造物設計」の講義を行う。受講者は、採用3年目の高知県土木技術職員16名。
10時から1時間の昼食をはさんで14時まで擁壁工指針に基づいた擁壁設計法について解説をし、14時からは15時30分まで重力式擁壁とブロック積み擁壁の安定計算、直接基礎の支持力計算の演習問題をしてもらった。難関の採用試験を突破した方たちだけあってとても優秀である。全員が時間内に演習問題をし終えた。
最後の1.5時間は、擁壁のトラブル事例について私の経験談を話させていただいた。いずれも現場の第一線である土木事務所に勤務している。高知県の未来を支える若者たちである。前例主義,横並び主義のマニュアル技術者にはなってもらいたくない。現場で実際に起こっている現象をしっかり見つめ現状の問題点を把握し,改善策を打ち出せるような技術者になってもらいたい。限られた時間であったが,私が44年間の実務で得た知見を若者達に伝えた。
18時からは、海鮮料理の店「海ぼうず」で高知県測量設計業協会員の代表者会。会員会社25社のうち22名の社長が出席した。高知県では一昨年より仕事が増え、社長の顔から以前の悲壮感は消え、少しゆとりが感じられる。
今年は、台風12号、11号の影響で高知県は大きな災害を受けた。一刻も早い災害復旧が望まれている。災害査定を受けるための調査測量の仕事は,一般業務に比べて単価が安い。このため、県外コンサルタントはどこもやろうとしない。このようなときに頼りになるのは、高知県測量設計業協会の会員である。25社の会員が、災害対応を最優先している。
9月18日(木)
前立腺が肥大し,尿の出が悪くなった。症状が徐々に悪化していたの
仕事をしていれば1ヶ月があっという間に過ぎるが,入院中の5日
今日の15時30分,小便の最中に尿と一緒に異物が飛び出した。便器から拾い上げて水で洗浄し,よく見ると「さざれ石」のように
膀胱内に石があるのはCT検査で分かっていた。9日のオペの際に
9月3日(水)
岐阜大学で、平成26年度後期社会基盤メンテナンス・エキスパート養成講座の講義を行っている。私の担当は、「盛土と擁壁」の2コマ。
受講者は、27名。 国土交通省、岐阜県土木事務所、市役所、建設コンサルタント、建設会社に勤務する30代~40代の職場にいなくては困る働き盛りの技術者たちばかりである。8月22日~9月19日まで1ヶ月間,毎日8時45分~18時まで講義を受ける。
高知県では考えられないことである。国土交通省も地方自治体、民間企業も技術者は日常業務に追われ、とてもこのような余裕はない。ひょっとすると、高知県人は、グレシャムの法則に支配されているのではないかと思えた。組織にとって本当の意味で大切な人材育成が、日々の仕事の多さに忙殺されて後回しにされてしまっている。この結果、いつも他県の後塵を拝する結果になっているのではないだろうか。
18時30分より岐阜駅近くの居酒屋「喰快」で、受講生24名と先生たち13名の37名で懇親会。 最近は、郡部や県外組の受講生が増え、大学の寮やホテルに泊まっている者が多いこともあり、週1回の頻度で飲み会をしているようだ。
今回の受講生は、27歳〜69歳。組織の中で最も戦力になっている人達である。酸いも甘いもかみ分けた官民の強者達が、所属に関係なく自由に語り合い、また八嶋先生たちの人脈で全国から集められた、その道の第一人者と呼ばれている講師達とも懇意になれる。講義もさることながら、飲み会が岐阜大学ME養成講座の人気をいっそう高めているように感じる。
座る席は、クジで決められた。私の左隣は、国際建設技術研究所の葛目社長。高知市長浜のご出身。右隣は、アイ・デイ・エーの社員の今井さん。母親が高知の佐川町の出身。前の徳倉さんは、徳倉建設の部長。ODAの仕事で2年間タンザニヤに滞在した経験者。不思議な縁を感じる懇親会であった。
9月2日(火)
タンザニヤから10名がやって来た。国の都市道路局の副局長や州、県の道路部長クラスの技術者である。8月24日から9月9日まで東京,埼玉,青森,京都など各地を回って日本の道路維持管理技術を学ぶため。「高知に行くのなら、右城さんのレクチャーを受けるのが良い」と、京都大学の木村亮教授に勧められたようである。滅多にない機会なので、第一コンサルタンツの社員8名も同席させてもらい、サウスブリーズホテルのレストランで会食をした。写真で日本の石垣、最近のコンクリート擁壁、石橋を説明させてもらったが、予想していたよりはるかに専門的知識が豊富で、明るく積極的にドンドン質問をしてくるのには驚いた。よく考えると、開発途上国とはいえ、彼らはその国のエリートたちなのである。レクチャーのお礼として、世界一美味しいタンザニヤの蜂蜜をもらった。