読書

無印良品は仕組みが9割  良品計画会長 松井忠三

 

無印良品の店舗で使用しているマニュアルMUJIGRAM(2000頁)と本部の業務マニュアル化した業務基準書の2つのマニュアルに全ての仕事のノウハウが書かれている。

 

マニュアルの目的は、個人の経験や勘に頼っていた業務を「仕組み化」し、ノウハウを蓄積させるため。

効果

①チームの実行力が高まり生産性が個上がる。その場に上司がいなくてもマニュアルを見れば判断に迷うことなく解決できる。

②マニュアルには「作業の意味・目的」が書いてある。作業の意味を理解すれば、問題点や改善点が発見できるようになる。

マニュアルは実行力を養うテキストで有り、自分がどう働くかの羅針盤になる。

仕事のスキルやノウハウを蓄積する仕組みがなかったので、担当者がいなくなったらまた一からスキルを構築し直さなければならなかった。

マニュアルを整備し、徹底的に見える化を図った。

 

「それぐらい、口で言えば分かるのでは?」と思われるようなことまで明文化する。

現場では毎日のように問題点・改善点が発見され、マニュアルは毎月、更新されていく。

 

戦略よりも実行力

戦略や計画をいくら綿密に練っても実行しない限り、絵に描いた餅に過ぎない。多少の戦略の間違いは実行力で取り戻せる。実行力があれば軌道修正できる。まずは第一歩を踏み出す決断が必要。

走りながら考えよ。

 

「マニュアルをつくれる人になる」のが、目指すべきところ。

知恵や経験を全員で共有する。個人の経験を組織に蓄積する。

マニュアルは使うものではなく、つくるもの。

上司が部下に仕事の仕方を口頭で教えると、仕事を覚えるのに15年かかる。マニュアル化すると短期間に仕事を覚えられる。

 

クレームは宝。

ミスやトラブルは企業全体で共有してこそ、初めてプラスに転化できる。

 

強い会社の共通点は、「挨拶をきちんとする」「ゴミを見つけたら拾う」「仕事の締切りを守る」

という仕事の基本が社員に浸透している。

チームの不振の要因は、社員の能力ではなく、社員同士のコミュニケーションや信頼関係の希薄さが根本的原因。

部下に訓示を垂れるよりも、朝の「おはようございます」、退社するときの「お疲れ様でした」の一言を徹底させること。

 

会議の在り方

①必ずデッドライン(締切り)を決める。②資料は簡潔に、③意志決定は速く

 

人間社会において唯一確実なことは変化である。自らを変革できない組織は、明日の変化に生き残ることはできない」(ピーター・ドラッカー)

 

「未来は予測不能だし、手本もない」(椎名武雄)

未来はリスクを取らない限り開かない。

行動を変えれば、部下の意識は変わる。

行き過ぎたホウ・レン・ソウは、人の成長の芽を摘んでしまう。自分で考え動くという判断力も実行力も育たない。指示待ち人間になる。

 

社員に対して繰り返して話しても、1ヶ月くらいすると98%ぐらいの人は覚えていない。人間とはそういうもの。

 

莫煩悩(まくぼんのう):煩悩するなかれ。迷わず悩まず、ただ一心に目の前のことに取り組むこと。

「あせらず、くさらず、おごらず」という三つの心構えが重要。

人間万事塞翁が馬

調子がよいときも悪いときも、自分を磨くチャンスなのだと思い、目の前のやるべきことをコツコツやる。結果を残すようにやり続けることしかない。

ゼロ  堀江貴文


無理、できないと考えるのは「自信」の問題。
自信を形成するための「経験」が圧倒的に不足していた。
経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく。

ヒッチハイクによる小さな成功体験を積み重ねることで、僕はコンプレックスだらけの自分に自信を持てるようになった。

あらゆる人の一生とは、こうした小さな選択の積み重ねによって決まってくる。
チャンスだけは誰にでも平等に流れてくる。
目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことができるか。フットワークの軽さ、好奇心の強さ、そしてリスクを承知で飛び込んでいける小さな勇気。それらの総称が「ノリのよさ」。

小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがある。
小さなチャレンジとは「ノリのよさ」から生まれる


東大生のとき、コンピューター系ベンチャーで働き始めて間もなく、アップル・ジャパンのホームページを作成するプロポーザルを経験した。プレゼン段階で不採用になったが、このときHPの作り方をマスターした。たくさんの企業に、「会社案内の代わりにHPを作りませんかと」とヒッチハイクのノリでドブ板営業をかけた。企業の反応はよく、いくつもの契約を取り付けることができた。
インターネットには無限の可能性があると感じたので、「有限会社の作り方」という本で勉強し、1996年の4月、東大に籍を置いたまま「有限会社オン・ザ・エッジ」を立ち上げた。会社は、月給70万円という破格の給与を提示したが、成功させるにはスピードを優先させなければと会社の引き留めを断った。

 

会社を起業してから数年間は、私生活のすべてを捨てた。友達とも連絡を取らず、大学に行くことも、飲みに行くこともない。会社にベッドを置いて、毎日のように泊まり込むような生活だ。睡眠時間以外はすべて仕事にあてた。
夜中になって、「サーバーに不具合に不具合が出た」と連絡が入ると、データセンターまで駆けつけ、朝まで一人黙々と復旧作業に明け暮れる日々が、3~4年は続いた。365日ずっと臨戦態勢だ。週末だろうと盆や正月だろうと仕事にどっぷりはまっていた。
プログラムの第一線から離れて、経営に専念できるようになったのは会社が上場した2000年頃から。
1999年の売上げは2.6億円。2000年には11.6億円。毎年、29.2億円、58.9億円、108.2億円と倍々ゲームのように売上げを伸ばしていった。
2004年には、社名を「株式会社ライブドア」に変更し、近鉄バファローズの買収に乗り出し、2005年にはニッポン放送の筆頭株主になり、フジテレビとの関係を巡って世間を騒がせた。その秋に、郵政選挙に出馬して落選すると、2006年1月に東京地検特捜部から強制捜査を受けた。
2011年4月に懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定した。

やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。どんな仕事であっても、そこにやりがいを見出すことができる。
懲役期間中は「懲罰としての仕事」が課せられる。最初に与えられた仕事は、無地の紙袋をひたすら折っていく作業だった。与えられたノルマは1日50個。担当者から折り方のレクチャーを受け、早速作業を開始する。最初は時間内にノルマを達成するのがギリギリだった。担当者から教えてもらった折り方をゼロベースで見直し、自分なりに創意工夫を凝らしていくと、3日後には79個折ることができた。ペースが上がると単純に楽しいし、うれしい。
仕事の喜びとはこういうことから始まる。もしも、マニュアルどおりの折り方で50枚のノルマをこなすだけだったら、楽しいことなど一つもなかっただろう。いゆわる「与えられた仕事」だ。
自分の頭で仮説を立て、実践し、試行錯誤を繰り返す。そんな能動的なプロセスの中で、与えられた仕事は「つくり出す仕事」に変わっていく。
能動的に取り組むプロセス自体が、「仕事をつくる」ことだ。

人は「仕事が好きだから、営業に没頭する」のではない。順番は逆で、「営業に没頭したから、仕事が好きになる」のだ。
仕事が嫌いだと思っている人は、ただの経験不足なのだ。仕事に没頭した経験がない、無我夢中になったことがない、そこまでのめり込んだことがない、それだけの話しだ。

没頭するには、自分でルールつくり、「今日という一日」にギリギリ達成可能なレベルの目標を掲げ、今日の目標達成に向かって無我夢中になること。

「できっこない」という心のフタを外してしまえば「やりたいこと」なんて湯水のように溢れ出てくる。
物事を「できない理由」を考えるのか、「できる理由」から考えるのか、それだけだ。突き抜けられるかどうかは能力の差ではなく、意識の差だ。

信用を獲得していくためには、絶対に乗り越えていかなければならないハードルがある。80の力しかないのに100の仕事を引き受け、それを全力で乗り越える。すると次には120の仕事を依頼してもらえるようになる。信用とはそうやって築かれていくものなのだ。

人は「ここでいいや」と満足してしまった瞬間、思考停止状態になる。
ひとつの熟考よりも三つの即決。
「悩む」と「考える」との間には、決定的な違いがある。「悩む」とは問題を複雑にしいく行為。ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々とする。人は悩もうと思えばいくらでも悩むことができる。
「考える」とは、物事をシンプルにしていく行為である。複雑に絡み合った糸を解きほぐし、きれいな一本の糸に戻していく。アインシュタインの特殊相対性理論がE=mc2というシンプルな関係式に行き着いたように、簡潔な原理原則まで落とし込んでいく。それが「考える」という行為。

人が前に進もうとするとき、大きく3つのステップを踏むことになる。
①挑戦:リスクを選び、最初の一歩を踏み出す勇気。
②努力:ゼロからイチへの地道な足し算。
③成功:足し算の完了。

成功したければ挑戦すること。挑戦して、全力で走り抜けること。

仕事の質は、「集中力×時間」で決まる。

人生には「いま」しか存在しない。過去を振り返っても事態は変わらず、未来に怯えても先へは進めない。かけがえのない「いま」に全力を尽くすこと。脇目もふらず集中すること。将来の自分とは、その積み重ねによって形成されていく。

インターネットの普及によって、アイデアの価値はどんどん均一化されてきている。アイデアを頭からひねり出す時代から、インターネットで検索し、組み合わせる時代になっている。

口先のアイデアを披露しても、なんら評価の対象にならない。アイデアを実行に移し、誰よりも早く形にできた人だけが評価される。


情報を得ることは未来を知ることである。情報弱者と情報強者の間では「未来を見る力」に決定的な差が生まれてしまう。情報に鈍感な人が損をするのは当然のこと。

 

 

現実を視よ    柳井正

 

この国には1億3000万の人間をお食べさせていく資源などない。だから日本人は必死に働き、知恵を絞って付加価値を生み出し、稼いだお金で成り立たせてきた。いまだにそれなりの暮らしができているのは、過去の蓄積がかろうじて残っているからにすぎない。


2020年までに、ユニクロは日本を含めて世界で約1100ある店舗を4000店舗を4000店舗にまで増やし、ファーストリテイリンググループでは売上高5兆円、営業利益1兆円を達成する。

アパレル業界で圧倒的なナンバーワンを目指す。

 

そのために最も重要なことは、グローバル競争に勝ち抜くことのできる人材の育成にほかならない。

新卒一括採用をやめて通年採用にした。新卒と中途の区別も撤廃。

2012年に、社内の公用語を英語にした。5年以内に本部社員の半数は、外国人にする。

就業時間は、朝7時から午後4時。社員が退社したあとの時間を、英語の修得など自己研鑽に利用してもらうようにするため。

 

ユニクロは、全員経営、グローバルワン経営を標榜している。

 

20年前に金持ちだった日本は、いまではせいぜい中の下にすぎない。しかし、日本人は相変わらず、自分たちは上の上だと勘違いしたままである。

 

目の前にある現実を視ないで、過去の成功体験にとらわれて変化を嫌う。理論よりも情緒を優先し、観念論に走るといった特性は、時に取り返しのつかない結果を招く。

 

いまの日本政治ほど資本主義という言葉が似合わないものはない。
中国という国家は、日本とは比較にならないほど強烈な資本主義国である。

いまの法人税率や所得税率を見れば、お金のある人が、お金のない人を食べさせる社会になっている。

 

平均的な働き方をしていたら、人並みの収入しか手にすることはできない。人が寝ている時にも働いて、過酷な競争に勝ち抜いたからこそ、多くの富裕層は多額の報酬を得ることができている。

稼ぐ人も、稼がない人も一緒に食べられる社会からは、確実に活力が失われる。
働かざるもの食うべからず。

 

日本人が貧しさを感じずに済んでいるのは、借金によるバラマキに加えて、為替レートに助けられている部分も大きい。

1ドル160円くらいまで円安が進むかもしれない。そうなれば、いま年収400万円の日本人の収入はあ、一気に200万円になる。為替レートが正常化したら、日本は一気に世界の中で貧しい国へと転がり落ちる。

 

かつて日本人には国から保護を受けることを恥とする感覚があったが、それが失われている。
邸永漢(きゅう えいかん)は、日本は政治家と生活保護を受ける人ばかりになると予言していた。

 

顧客にどういう価値を提供し、社会をもっと住みやすい世界に変えていくかというのが、資本主義の精神。

 

人間の成長は失敗から生まれる。挑戦して失敗し、そこでいろいろなことを学び、再び挑戦する。これが成長のサイクルである。だから人より多く失敗すればするほど、より早く成長できる。

 

業績の良否の原因を、不況という外に求めるか、自らの経営のやり方という内に求めるかである。経営のやり方は無限にある。やり方に当を得れば必ず成功する。

 

ファーストリテイリングの経営理念は、
顧客の要望に応え、顧客を創造する経営
大切なのは成功や失敗を通して、経営理念の意義を繰り返し確認して行くこと。

 

志をもって生きよ

若いころから、寝る前に続けてきた作業がある。
自分の考えをノートにまとめること。
自分の仕事を通じて、将来、どういう人物になって行きたいのか。自分の会社を通じて、この世にどのようなことを実現して行きたいのか。
自分の生きてきた証をいかに世に残すのか。どれだけ社会貢献できるのか。
そんなことを少しずつ、私はノートに書き連ねてきた。
ノートに書くのは、自分の夢や理想だけでなく、時には不安や悩みのこともあった。それらを文字にまとめることで、不思議と自分のモヤモヤが晴れていく気がした。
血を吐くような不安に襲われても、私はこうすることで、なんとかひと筋の坂道を登ってくることができた。
人の一生とは、自分の志を遂げるためにある。
そう私は信じている。

 

成功法則より普遍的な「考え方」をもて

立ち止まることは最大のリスク
現状維持でいい。そう思った途端、進歩は止まる。外の世界では、絶え間ない進化と発展が続いている。何もせず同じところにとどまっているのは、じつは最大のリスクなのである。

私は、ノウハウ本なるものはまったく信用していない。そこに書いてあるのは、過去の成功法則でしかない。過去の成功例をそっくり踏襲して、うまくいくはずがない。情報が瞬時に世界を駆け巡るグローバル時代では、そうした成功法則は、あっという間に陳腐化してしまう。

 

10のmessage
message1 起こっていることは、すべて正しい。
世間は正しい。目の前の事実を躊躇なく受け入れること。必要なのは、謙虚さである。

 

message2 人間は求めていい
もっと食べたい、たくさんの人に会いたい、住みやすい社会にしたい、もっともっとしたいという欲望があるからこそ、生きるエネルギーが湧き、科学や文明が進歩した。求めないとは、ブロイラーのように、口を開けてエサが来るのを待っている状態である。
人間は磨けば磨くほど輝く、ダイヤモンドの原石である。
一人ひとりがあ、最大幸福を追求してこそ、国家全体も繁栄できるのである。

 

message3  需要は「ある」のではなく、「つくりだす」

資本主義社会では。企業は必死で売れる商品をつくろうと競争している。需要よりも供給のほうが多いのは当然のこと。

需要は景気によって左右されるものとは考えず、自分で作り出すものという発送が基本となる。

需要を新しく作り出すためには、顧客の立場に立って「一体何に不満を感じておられるか」という潜在を、頭を振り絞って日夜、考える。

 

message4サムスンに躍進の秘訣を聞きに行け

かつて松下電器は、他社の技術を取り入れることを躊躇しなかった。そのため松下ならぬ「マネシタ」と揶揄されたが、成長に対する貪欲さが、松下電器をナショナルブランドに押し上げたのだ。

それをグローバルにやっているのがサムスン。サムスンがライバルの日本企業を徹底的に研究し、エンジニアを好条件で自社に迎え入れ、技術やノウハウを取り入れることで急成長を遂げた。

自分たちにないものをもっているなら、それを取り入れることで競争力を高められるなら、世界のどこにある企業だろうと出向いて行って、教えを請う。

私も、優れた技術、情報、そして人材を求めて、すぐに海外に飛んでいけるようにしている。

そうしたフットワークの軽さがないと、変化の早いグローバルマーケットを勝ち抜くことは、とうていできない。

 

message5売れる商品は、世界中どこでも同じ

・売れる商品というのは、国や地域に関係なく、世界中どこでも同じ。いい商品というのは、買った人が自分で使い方を考えてくれる。

 

message6 100億円売ろうと決めねば、100億円売れない

優秀な人間ほど、過去の思考パターンに引きずられる傾向がある。1つのパターンが何度も通用するほどあまくない。

 

message7 戦うのなら勝ち戦をすること

経営は試行錯誤の眷属で、失敗は限りなくある。10回新しいことを始めれば9回は失敗する。

何が正しくて、何が間違っているかは、結局の所自分で経験してみない限り分からない。いくら本を読んだり、人の話を聞いたとしても同じである。

挑戦し、失敗するから原理原則がわかる。傷を負い、痛い思いをして、自分の血肉になったものだけが、次のチャンスで威力を発揮する。

 

message8

message9

message10

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 桜の花出版編集部

2012.12.19

 

インドネシア人の85%は親日家である。

オランダは、350年間愚民政策を行ってきた。

昭和17年3月に、日本軍がインドネシアに上陸すると、9日間でオランダ軍を全面降伏させた。

日本軍は、敗戦までの3年半の間、インドネシアに軍政を敷き、インドネシア語を普及させ、軍事訓練を課し、インドネシア人の軍隊(郷土防衛義勇軍PETAペタなど)を組織し、教育を施し、組織運営方法を教えた。

昭和20年8月17日にインドネシアは、独立宣言をし、オランダの軍隊と衝突した。この戦いに、2千人の元日本兵が参加し、最前線に立って、経験の浅いインドネシア軍を指揮したため、その半数が亡くなった。

昭和24年11月、オランダは、インドネシアの再植民地を諦め、インドネシアは、完全独立を果たした。

独立記念日の郷土防衛義勇軍関係者たちの式典では、インドネシアの服装の男女二人に日本兵の服装をした一人を加えた三人で、国旗を掲揚している。

PETA(ペタ郷土防衛義勇軍)と言うインドネシア人の軍を組織し、強さと、勇気と、戦い方を教えてくれた。

PTEAの教官たちは、インドネシア人の教え子たちと同じ食事を同じテーブルで取っていた。オランダ時代にはあり得ないこと。

日本がロシアに勝ち、日本が発展する様子を見て、日本はアジアを代表する国だ、白人だけが強いのではない、私たちも強くなれるのだと思うことができた。

日本はアジアを欧米の支配から解放し、日本を中心とする共存共栄の新秩序を樹立するという「大東亜共栄圏」という考えかたを示してくれた。その精神に私たちは感動させられた。

日本の軍政監部は、学校を作りなさい、中学校、高校をどんどん作り、教育に力を入れた。3年半の間に10万人のインドネシを教育した。

日本精神とは、よく働き、よく学び、国のために尽くすということ。必要な場合は国のために身を捧げるという精神である。

 

日本がインドネシア語を普及させたことが,インドネシアの独立に大きく貢献した。オランダ時代には,学校を出でもインドネシア語がわからない人がたくさんいた。インドネシアには300以上の言葉があるが,それをオランダ時代には統一させなかった。ジャワ人にはジャワ語だけを習わせた。イントネシア人を団結させないためである。

日本の軍政監部は,インドネシア語を習うべきと命令を出し,田舎でもどんどん教育されていった。それでインドネシア人同士の意思が通じるようになって,独立の意義も広がるようになった。

 

1928年10月28日に宣言された「一つの国家,一つの民族,一つの言葉」という「青年の誓い」の内容が実現した。

 

日本軍は,オランダ時代にあった一等,二等,三等といった官吏の階級を日本軍はそのまま生かして,インドネシア人に就かせた。また,いろいろな職場でインドネシア人を高い地位で働かせ,自信をつけさせていった。

 

オランダの歌の中に「すべて若者は,その父なる国に最高の歌を捧げなければならない」とある。父なる国とはオランダであり,捧げるというのはオランダ女王に対してである。

日本軍には,君が代を教えられ,「身を挺してお国のために尽くさなければならない」と教えられた。その国とはインドネシアであり,身を捧げるのはインドネシア原住民であると教えられた。

将校たちは,独立について「八紘一宇はっこういちう」という考えを教えてくれた。世界を一つの家とするという意味で,日本がその長兄で,長兄の指揮の下でアジアの国々が独立して繁栄するということと教えられた。

 

八紘一宇(はっこういちう)

「道義的世界統一」を意味する用語で,日蓮宗の宗教団体「国柱会」を興した日蓮主義者・田中智学(ちがく)が,日本書紀の中にある語からの造語。

昭和15年第二次近衛内閣の基本国策要綱,大東亜共栄圏の建設の精神として掲げられた標語。

「皇国の国是は八紘一宇とする。嚢国(のうこく)の大精神に基づき,世界平和の確立を招来することを以て基本となし,先ず皇国を核心とし,日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」

嚢国(のうこく)とは,肇国(ちょうこく)あるいは建国と同じ意味。

八紘(はっこう)は「八つの方位」を意味する語であり,転じて「世界」を意味する語となった。

一宇(いちう)は「一つの家の屋根」を意味する。

 

PATA(郷土防衛義勇団)

日本軍は上陸から数ヶ月後,軍事訓練を希望するインドネシアの青年を募り,選抜社に軍事訓練を三ヶ月間行った。その選りすぐりの50名をジャカルタ近郊の「タンゲラン青年道場」に集め,基礎的な軍事技術の訓練を施した。それは陸軍中野学校の訓練を模したもので,その内容は過酷なものであった。

教官の柳川宗成中尉は,「独立は自らの力で勝ち取るものである。与えられるものではない」と言い続けた。道場では戦い抜くという精神をたたき込まれ,「サンパイ・マティ死ぬまでやる」が合い言葉になった。

実地訓練では,教官がまず見本を示しそれを訓練生にやらせるという形がとられた。互いに同じ体験を分かち合うことで,教官と訓練生は兄弟であるという感覚が生まれた。

そして昭和18年秋,ジャワに郷土防衛義勇団(PETA)というインドネシア人による軍事組織が創設された。タンゲラン道場の訓練生はペタて指導的立場に就いた。

日本開戦2年目記念日の12月8日,ジャワでペタの閲兵式が行われ,一般の人々に披露されるとインドネシア人は自分たちが持つ初めての軍隊の行進に熱狂した。

ペタ出身者は約4万人に上った。彼らは祖国防衛と独立のために猛烈な訓練に耐え,後のどくりつ戦争の大きな柱となった。

現在のインドネシアの閣僚の6割が,ペタ出身者の子ども達で占められている。