2011年(平成23年)12月以前の出来事
12月31日(土)
昨年の大晦日は家内と東京に行き,小平市に住んでいる義父と義母の4人で過ごしたが,義父は先日他界した。義母は現在高知の病院に入院中である。外泊の許可が貰えたので義母をわが家に迎え,家族揃って大晦日の食事を楽しむ。注文してあったおせち料理が夕食の前に届いたので,正月を待つことなく早速広げて食べる。
赤ん坊が発するエネルギーはものすごい。祐希がいるだけで家族が明るくなり絆が強まる。
12月29日(木)
生後9ヶ月くらいの赤ん坊は,誰でそうなのだろうか。最初に見た物は,兎に角何でも嚙んでみないと気が済まないようである。祐希がハーモニカのようにくわえているのはのはテレビのリモコン。何でもかじって傷だらけにしてしまう。
乳歯が生えてくると痒いためという説があるが,噛む感覚を楽しんでいるようである。
12月26日(月)
東京にいる娘が祐希を連れて帰ってきた。これからしばらくわが家も賑やかになるだろう。
3月18日に生まれ,丸9ヶ月が少し過ぎた。「まんま」と「ねんね」はハッキリしゃべれるよになった。熊のように四つん這いになって家中を動き回る。珍しいものを見つけると,なんでも口に入れて噛む。前歯(乳歯)が上下2本ずつ生えている。
ビールの缶が大好きなようである。まずは,祐希との再会と,しばらく生活を共にできる幸せを祝って乾杯。
12月24日(土)
農業をしている弟に会うため本山町古田の生家に立ち寄り,母の見舞いと父の墓参りで土佐町に向かう途中,高角という集落で面白いものを見つけた。「虹の橋」は以前から気がついていたが,そこにモアイ像のような7体の石柱,怪獣のような3体の古木,それらを製作している男性の姿が目に入った。声をかけると,「見て行きや」と言ってくれたので車を駐めて見物させてもらった。虹の橋の奥には,庭園,くるくると回る家,噴水,水車などが造られていた。まるで「おとぎの国」。男性は橋本晁光(ともみつ)さんで,私の幼なじみの古田惠郎さんとは従兄弟で,木能津のツリーハウスも橋本氏が製作したということであった。 惠郎君がホームページで古田のことをいろいろと紹介しているということも教えてくれた。
「ふるた3兄妹 」のホームページ→こちら
12月20日(火)
昨日は砺波市にある株式会社ビーセーフの富山工場で吉田博先生たちと落石防護柵の設計手法に関する問題点,今後の活動方向について打合せを行った。
吉田先生とは,先生が金沢大学に勤務されていた昭和58年からお付き合いをさせていただいている。私より一廻り上の寅年であるが,とてもお元気で落石対策に関する技術開発の意欲はちっとも衰えていないように感じられた。
今日も9時から打合せをする予定であったが,昨日高知でトラブルが発生したという連絡があったので,急遽予定を変更して高知に帰るため,砺波駅7時32分発の列車に乗る。富山は積雪はしていなかったが,時雨が降りとても寒い。
12月13日(火)
14時より鳳林院で義父友岡稔の葬儀・告別式を行う。火葬は府中市多摩の日華斎場。
義父は、「過去は振り返らず前を向いて生きること」を信条としていた。好きな言葉は「明日がある」であった。義父から毎年と届けられる年賀状には、「この1年をどのように生きるのか」という自身の決意が書かれていた。その文面は、1年間かけて練られたものであった。私の人生を考える上で随分と参考になった。
90年間お疲れ様でした。30年間本当にお世話になりました。ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
12月11日(日)
安見和夫さんから新鮮な野菜が宅配便で送られてきた。「アル中より心をこめて」と書かれた紙が入っていた。安見さんが心を込めて「あいさい農園」で有機栽培した白菜,ホウレンソウ,大根,カブラ,ニンジン,ジャガイモ,金時ショウガである。早速,ニンジンとカブラは水洗いしただけでドレッシングをかけて食べてみた。甘くてとても美味しい。この歳になると野菜があっさりして口に合う。ホウレンソウと白菜は野菜鍋にして食べる。種子島産の安納芋で作った焼酎のお湯割りと良くあう。最高。
12月11日(日) 第37回安芸タートルマラソン全国大会
昨年に続いて10kmの部に2度目の出場をする。家内が東京へ行っているので,娘の怜佳にカメラマンを兼ねて同行して貰い,7時50分に家を出る。今朝は異常に寒い。4時過ぎに起きて仕事をしていたので体が芯から冷え切っていて,ダウンを着ても温かくならない。カイロを背中に貼って温める。
スタートは10時20分。私は60分台なので最後列に並ぶ。体が重たくてスピードがでない。昨夜の睡眠が足らなかったためであろうか。今年は1km毎に距離標を設置してくれていたので気分は楽であった。7km地点から野良時計のある通りにでる。疲れ切った体に弥太郎太鼓の応援が気合いを入れてくれる。沿道の声援もありがたい。8km地点で男の子の兄弟がハイタッチをしてくれた。萎えていた体にエネルギーが注入された気分になった。
タイムは1時間10分34秒。昨年は1時間10分33秒。ほぼ同じ。坊ちゃんランランランと比べると,1分33秒の遅れ。ライバルの家内が一緒に走らなかったせいだろうか。
12月10日(土) 田所君の結婚披露宴
社員の田所良太君と祐穂さんの結婚披露宴がララシャンス迎賓館であった。お二人とも素晴らしい家族,友人に囲まれ,そして愛されて素直に成長したことがよく分かった。
特に印象に残ったのは,中学校,高専とずっと一緒であったという良太君の友人が,スピーチで紹介した言葉。「人は自分を幸せにすることはできないが,他人を幸せにすることはできる」なんと素晴らしい言葉だろう。そして,花嫁の祐穂さんが家族一人一人へ書いた感謝の手紙の朗読。家族愛に感動させられた。
誠実で明るい二人に幸多かれと心より祈っている。
12月4日(日)
「再起へ!!高野光二郎とまっしぐらに未来を語る会~誰でも、何時でも、何度でもがチャレンジできる社会を創る~ 」が、ホテル日航旭ロイヤル高知の3階ゴールデンパシフィックで11時より開催された。会場は、高野光二郎氏を国会に送り込もうとする後援会会員や若手の支援者で満席であった。
結城健輔後援会会長の挨拶に続いて、中谷元衆議院議員、福井照衆議院議員、山本有二衆議院議員の高橋秘書が来賓祝辞を、そして宮城県からお越し頂いた安部孝宮城県会議員の応援の挨拶があった。乾杯の音頭は元・高知県議会議長で中谷元衆議院議員の後援会長をされている依光孝夫氏がとられた。
11月27日(日)
第11回坊ちゃんランランランマラソン大会が松山市であった。金村毅先生が松山大学で教授をされていたときに立ち上げた「坊ちゃん一緒にらんランRUN」が引き継がれてもの。種目は以前と同様で、ハーフマラソンの部、10kmマラソンの部、イチワリマラソンの部がある。私達は、第9回に続いて10kmの部に2度目の出場。前回のタイムは、私が1時間15分04秒で家内が1時間09分31秒であった。今回は、私が1時間09分01秒で家内は1時間09分22秒。折り返し地点の手前までは、家内が先を走っていのであるが、思いがけず友人の安見和夫さんが農作業を中断して応援に駆けつけてくれており、安見さんの声援を耳にしたとたんに元気が回復し、家内を追い抜き、前回より6分03秒もタイムを縮めることができた。
11月26日(土)午後
今年で5回目となる高校生橋梁模型コンテスト(主催:四国高等学校土木教育研究会)が、13時より高知工業高等学校で開催された。高知県橋梁会が共催している関係で、高知県橋梁会から会長の私が審査委員長、森下伸裕理事と関山雅彦会員が審査員として出席した。
出品数は7橋と少なかったが、毎年工夫が加えられて、デザイン、強度、出来映えが進化している。優秀な作品は表彰し、記念品を贈呈すると共に、12月13日に高知会館で開催される予定になっている高知県橋梁会の研修会の会場に展示させていただくことになっている。
11月26日(土) 午前
日本技術士会四国本部の会員16名で桂浜の「高知県立坂本龍馬記念館」を見学し、その後で坂本龍馬記念館の森健志郎館長に「坂本龍馬を語る」という演題で60分の講演をしていただく。
文学館としては、花巻市の宮沢記念館が全国屈指の年間15万~18万人であるが、昨年は40万人でそれを突破して日本一になった。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響が大きかった。今年もまだ昨年の余韻が残っており20万人を超えそうという話であった。坂本龍馬館の大きな特徴は、県外のリピーターが多いこと。3~4回ではなく10回以上の来館者が多い。入学、卒業、就職、結婚、退職など人生の節目節目に来場し、龍馬に報告するリピーターが多いと言うことであった。福山雅治の龍馬伝の影響もあるが、「森健志郎館長の手腕で着実にファンが増えているのは間違いない。坂本龍馬検定、龍馬への手紙、龍馬に誓う年賀状、シェイクハンド龍馬像など、館長が次々に打ち出すアイデアが話題を集めている。
勝海舟の「公平」、坂本龍馬の「平等」、そしてジョン万次郎による「アメリカにおける公平と平等社会の経験」が、大政奉還による明治維新をなし得たと説明していただいた。
森館長のお話を聞いていると、もはや龍馬は神様であり、ここは龍馬の聖地であり、森館長は龍馬教の教祖である。
11月25日(金)
公益社団法人日本技術士会主催による高知例会が高知会館があり、地震をテーマにした講演、東日本大震災による現地調査発表があった。独立行政法人海洋研究開発機構地震津波・防災研究プロジェクトリーダーの金田義行理学博士による「来るべき南海大地震・大津波から四国を守るために」と題した講演は、「東日本大震災の教訓、現在までに明らかになったこと、現在の研究最前線と今後の研究展望、予測研究から見える南海トラフ巨大地震・大津波、被害想定・避難対策のあり方、四国の減災に向けて」という内容で、最新の研究成果を披露していただいた。
例会の後は、高知県技術士会創立25周年祝賀会があり、初代会長の村山保先生にも参列していただき、ご挨拶をしていただいた。満92歳になられたが、とてもお元気である。
徳島県技術士会の皆様を日本料亭濱長に案内し、高知の夜を楽しんでいただいた。
11月22日(火)
高知丸高の高野広茂社長から南国市宍崎の丸高南国重機工場実験室で津波避難タワーに関する打合せを15時よりするという案内をいただいていたので、当社の西岡南海男常務取締役と一緒に参加した。
ここには、元々、高知丸高の資材置き場であったが、Sqピア工法、津波避難タワー、津波避難シェルター、避難用ゴンドラ、避難用ゴムボート、風力発電装置など実物大の試作品が所狭しと並べられていた。実験室には、それらの模型がたくさん展示されていた。高野社長のワンダーランドであろう。
参加していたのは、高知工科大学大学院システムマネジメントコース長の草柳俊二教授、草柳研究室修士2回生の加藤君、山本構造設計事務所の山本幸延氏、株式会社若竹まちづくり研究所の佐藤八尋代表取締役、有限会社エコ・エナジーの前田幸久代表取締役、株式会社サーマル工房の谷村正樹代表取締役。
皆さんで、これまでの技術開発の取り組み、津波対策に関する課題や新しい提案などを述べて意見交換をした。経験豊富な方ばかりの集まりであるので、実に有意義な会議であった。
11月20日(日)
中央公園で「第4回RKCラジオ祭り」があり、RKC高知放送からの依頼で「宮城県を元気にする高知応援隊」が、ブースを出して宮城県の特産品を販売することになりました。
宮地貴嗣隊長(ラ・ヴィータ社長)、応援隊事務局長の高野光二郎氏らが気仙沼直送の生さんまの塩焼き、塩釜蜂屋の焼き餃子、よっちゃん農場の「よっちゃんなんばん」 、気仙沼のり、生ビール などをボランティアで販売していました。
第一コンサルタンツからは、原田君と鍛冶君が参加していました。
さんまの塩焼きを楽しみに12時半に応援に行くと、さんまは既には売り切れ。高野光二郎さんの差し入れの焼き鯖寿司、焼き餃子とのりを肴に生ビールで腹ごしらえをしました。
娘の怜佳が友達と14時半に行くと既に完売していたようです。応援隊の皆様、お疲れ様でした。
11月18日(金)
公益社団法人日本技術士会主催で、「再生可能エネルギーで活力ある低炭素社会の実現に向けて」をテーマにした「地域産官学と技術士との合同セミナー」が広島市文化交流会館であり、バイオマス利用、太陽光発電、風力発電、小水力発電、檮原町の環境モデル都市への取り組みに関する事例が発表された。
最近の地協温暖化による集中豪雨災害、3.11の福島原発事故によって、自然エネルギーに関する国民の関心が一気に高まっており、今後急速に自然エネルギーの利用が普及すると思われる。
懇親会で、小水力発電について発表されたイームル工業(株)顧問の沖武宏からとても興味深い話を伺うことができた。昭和21年に50歳で中国電力を退社し、昭和25年に水車発電設備を製造するイームル工業を設立した織田史郎氏に関する話である。
沖氏が、「小水力発電の巨人織田史郎」と題して「水の文化2011.11,No.39」に織田氏のことを詳細に書かれている。
11月13日(日)
土佐町で「第27回さめうらの郷湖畔マラソン大会」があり、いつものマイペースのメンバーの兼清さんと家内で参加する。
早明浦ダム湖畔を1周する11kmの部(11.4km)と、湖畔の左岸を上吉野川橋からダム堰堤まで走る6kmの部(6.4km)があるが、最近あまり練習ができていないこともあり6kmの部に出場した。
参加者数は547名。6kmの部153名、11kmの部394名。 衆議院議員の中谷元先生は毎年参加されているようで、11kmの部に出場されていた。国土交通省の四国山地砂防事務所の職員の方3名は6kmの部に出場されているようであった。
6kmの部は、上吉野川橋の左岸側を11kmの部と同じく10時30分にスタート。ゴールインしたタイムは、兼清さんが39分56秒の84位。家内が41分6秒の92位。私は42分22秒の107位。兼清さんについて走っていたのであるが、3kmから失速。4km地点でトイレ休憩している間に家内にも追い抜かれてしまった。最後の1kmの登りは正直きつかった。
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11月11日(金)
三翠園で第17回目の高知工業高校土木科同窓会があった。出席者は、昭和28年から昭和62年までの卒業生105名と招待者7名。不景気の影響なのか卒業生が以前の半分ほどに減っていた。
高知工業高校の新旧の校歌斉唱に続いて北岡俊雄会長(S41年土木卒)の挨拶があり、村山保顧問(S14土木卒)、平田健一校長(S45土木卒)、宮地彌典同窓会会長(S36電気卒)の祝辞があった。
村山先生は満92歳であるが、相変わらずお元気である。平田校長は、昨年度に定年退官されたが、再任用で引き続き校長をされている。宮地会長より、来年、高知工業高校創立100周年記念式典を平田校長の下で行うという話があった。また、新し校訓「磨け学技 鍛えよ体徳 誇れ郷土」の紹介があった。
11月7日(月)
高知工科大学で開学記念日行事特別講演会『地震・津波防災の最先端-来るべき南海地震に備えて-』があり、東北大学災害制御研究センター助教の今井健太郎先生による 「津波予測の最先端」、東京大学地震研究所教授 堀宗朗先生による「地震防災シミュレーションの最先端」、それと高知工科大学システム工学群教授 甲斐芳郎先生による「高知工科大学の取組み」と題する講演があった。地震防災における我が国最先端の技術が紹介されるとあって、定員500名の会場は満席であった。
今井先生からは、①東南海・南海地震が連動し浅いところで地震が起きると、過去の宝永地震による津波高の1.5~2倍の津波が発生する。②女川町では津波流体力と浮力の複合作用でビルが倒壊した。③石巻市の津波シミュレーション結果は高知市とよく似ているという説明があった。
堀先生からは、ビルや地下鉄のような地中構造物、街全体の構造物をモデル化しての地震時応答シミュレーション解析、地震時に人々がどのような避難行動をとるかのシミュレーション解析(マルチエージェントシミュレーション)の紹介があった。
甲斐先生からは、東北大学の今村文彦教授の研究所で開発されたプログラムを用いて解析した、須崎市の津波シミュレーション結果が紹介された。
10月29日(土)
高知市保健福祉センターで「高野光二郎被災地滞在報告会」があった。高野氏は6月16日から2ヶ月間現地に滞在され、被災者の声を直接聞いてニーズに応じた支援活動やボランティア活動をされる一方、被災市町の現状の問題点や復旧・復興への課題について調査をされており、その報告をするのがこの会の目的であった。
私は、その前座として、現地調査で得られた知見に基づいて土木工学的見地から、津波対策についての私の考えを述べさせていただいた。
10月16日(日)
昨日までとは打って変わって青空が広がる秋晴れ。真っ青な空の下で全国的に有名になった第17回四万十川ウルトラマラソンが開催された。今年は㈱第一コンサルタンツも協賛企業に加えて頂き、招待状をもらっていたので、家内と一緒に声援を送りに行ってきた。
45都道府県から4074人の申し込みがあったが、競技上の安全性や宿泊施設の収容能力の関係などから抽選によって2146人に絞られていた。実際に出場したマラソン走者は、100キロの部が1,494人、60キロの部が479人であった。
第1位は、男子100キロの部が原良和さん(39歳、医師)でタイムは6時間47分40秒。女子は坂根充紀栄さんで、8時間7分17秒。原さんの奥様の明子さんも医師で、女子100キロで2位。坂根さんは京都府などの100キロマラソンで8回の優勝経験を持つエキスパート。
10月15日(土)
「ふれあい四国路」とは、四国4県と国土交通省ですすめている道路ボランティア活動の愛称。年1回、各県持ち回りで交流会が開催されている。
今年は高知県のまわり。13時より大豊町の「ゆとりすとパークおおとよ」の多目的棟で、「ふれあい四国路2011in大豊」が開催された。参加者は、約70名であった。
坂田喜昭実行委員長による開会の挨拶、岩崎憲郎大豊町長よる歓迎の挨拶に続き、NPO法人れいほく活性化機構の岩本誠生副理事長による講演「れいほく活性化機構へのご招待」があった。その後、各県から道路ボランティア活動報告、大豊町の魅力紹介と地域おこし活動報告、大豊町の郷土伝統芸能「永渕神楽」披露、四国地方整備局道路管理課の河野一郎課長から「ボランティアと道路に関する話題提供」があった。
最後に、来年度の開催県である愛媛県への引継ぎ式、土佐国道事務所の三保木悦幸所長による閉会のことばで幕を閉じた。
道路清掃や美化などのボランティア活動を行うことで、職場や地域の人たちとのコミニュケーションが活発になり、仲間の絆が深まったという報告が印象に残った。
参加者全員に大豊町から、最近商品開発された「碁石茶ドリンク」と「紅白の餅」のプレゼントがあった。
10月11日(火)
14時より国際フォーラム「ネパールの開発と観光年2011の推進をめざして」が、愛媛大学南加記念ホールであり、ネパール元首相のマダブ・クマール・ネパール氏による基調講演、前文部大臣のガンガラ・トゥラドハル氏による特別講演、駐日ネパール大使館公使スベディ・ドゥルガ氏らの講演があった。
18時30分から会場を道後温泉の大和屋本館に移し、ウェルカム・レセプションがあった。
写真左より、家内、私、ネパール元首相マダブ・クマール・ネパール氏、愛媛大学副学長の矢田部龍一教授。
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10月9日(土)~11日(月) 八重山家族旅行
阪急交通社が企画したツァー「JTAチャーター便で行く美しき秘境・八重島諸島巡り3日間」に家族で参加した。
観光地は石垣島、竹富島、小浜島、西表島、由布島の5島。石垣島では、鍾乳洞と川平湾、竹富島では赤瓦葺の伝統的民家がある集落を水牛車で巡る観光、西表島では仲良川のマングローブクルーズ、美原から浅瀬を水牛車で由布島に渡り、亜熱帯の植物園を散策した。
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10月2日(日)
昨夜に続いて今日も高知市中央公園に家内と行く。土佐の豊穣祭が行われており、芸者の踊りを見ながら土佐あかうしや土佐ジローの炭火串焼き、カツオのたたきを格安で食べることができるからである。
西土佐江川崎で火振り漁によって捕った四万十川の天然鮎を、炭火で30分かけてじっくり塩焼きしたものが、一匹400円という信じられない安さで売られていた。焼き上がるのを並んで待つには相当根性がいるが、それだけの価値はある。
料亭「濱長」の芸者の踊りを見ながら、鮎を肴にして地酒の吟醸酒をちびりちびり飲む。高知はなんと素晴らしいところかとつくづく思った。
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