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7月28日(日)
家内の希望で蒜山高原の「ひるぜんジャージランド」「蒜山ホースパーク」「蒜山ハーブガーデン」を見物する。
蒜山ホースパークでは,27日,28日と岡山「第20回岡山県ホースショー」が行われており,小障害飛越競技を見物することができた。高知からは土佐山田愛馬会の方が出場していた。この競技は,障害馬術とも呼ばれ,オリンピックの近代五種競技に採用されている。馬と騎手の息が合っていないとうまく飛べないようである。バーを落下させたり,馬が騎手の思うように走らなかったりなかなか大変なようである。
ジャージランドでは昼食にジャージ牛のバーベキューを食べる。土佐和牛に比べると脂肪分が多い。ジャージ牛は,英仏海峡の英領ジャージー島で数百年にわたって乳牛用に改良された牛。一般の乳牛ホルスタインよりひと回り小さい。環境変化への順応力や人間に対する従順性,放牧への適応性,草を牛乳に変える能力に優れている。栄養価の高い濃厚な牛乳を産する乳牛種として評価が高いが,日本では約1万頭しか飼育されていない。
蒜山ハーブガーデンのラベンダーが見頃と思って行ったのであるが,少し時期がおそかったようである。花がだいぶ散っていた。
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7月27日(土)
日本技術士会岡山県支部の設立記念式典がホテルグランヴィア岡山であり,高知から地研の森社長,我が社の前田技師長,私共夫婦が参加した。四国からは本部理事の加賀さんと四国本部事務局長の栗本さんが出席していた。
14時45分から岡山大学大学院教授の西垣誠先生による「科学は人を助けるもの~科学は人間を幸せにできるか~」と題する講演が1時間あった。講演の最後に,「若者が,あの人のような技術者になりたい!と思うような技術士になってください」「技術士は,日本以外では使えない。アジア圏でも使えない。世界に通じる博士号をとって下さい」というメッセージを述べられた。
岡山県支部設立記念式典の最後に,設立記念式典実行委員長をされた岡山県技術士会の木口誠二会長の謝辞があった。県支部の設立が認められるようになったのは,日本技術士会が公益社団法人になってからであり,東京以西での県支部の設立は岡山県が第1号である。今日の設立に至るまでは,統括本部との折衝などが大変だったようである。それだけに今日の設立記念式典は感無量であったことと思う。木口会長をはじめ岡山県技術士会幹事の皆様の努力に敬意を表したい。
中国本部では山口県支部,鳥取県支部の設立準備が進められているようである。岡山県支部設立が参考になるだろう。
県支部が設立されると「公益社団法人」の冠をかぶることが許され,対外的な信用度は格段に向上する。CPD講習会やその単位取得も容易になるなど会員サービスが向上する。しかし,これらのメリットとは裏腹の課題もある。支部会員には日本技術士会の会員しか認められない。県技術士会にのみ入会している技術士が,どれだけ多く日本技術士会に入会してくれるかである。
今年の10月25日,26日には「第19回西日本技術士研究・業績発表年次大会」が高知である。記念講演会の後,その宣伝をする機会を設けていただいたので,『高知らしい,皆さんが来てよかった,幸せを感じたと思うような年次大会にしたい。そのために,懇親会は老舗料亭得月楼で,とらっくチームのよさこい鳴子踊り見ながら土佐の皿鉢料理を堪能していただき,その後は料亭濱長で芸妓といっしょに「べく杯」「菊の花」「シバテン踊り」「はし拳」など土佐のお座敷遊びを満喫していただく予定である。是非たくさんの方に夫婦で参加していただきたい』という挨拶をさせてもらった。
7月22日(月)
この時期,毎年,「国土交通Day(7月16日)」の一環として国土交通行政関係功労者表彰の発表がある。国土交通Dayとは,平成11年7月16日に国土交通省設置法が公布されたことにちなんで設けられたもので,国土交通行政に関する意義・目的,重要性を広く国民に理解してもらうという目的があるようである。
今日は,中村河川国道事務所で表彰があり,第一コンサルタンツは下記の2つの表彰を受けた。
優良業務表彰:平成23-24年度 榎沢樋門外耐震照査検討業務
優良貢献業務:平成24年度 中村管内測量設計業務
社員が一生懸命努力した結果が評価され表彰される,これほど嬉しいことはない。
7月20日(土)
見学会の二日目。5時が来るのを待ちかねて朝風呂に入る。玉造温泉の泉質と湯温は最高。露天風呂に浸かっていると日頃の疲れがすべてとれる。
朝食の7時まで1時間以上の時間があったので,温泉街,玉作公園,玉作湯神社などを散策する。玉造温泉は4度目であったが,このように散策したのは初めてであった。
8時「佳翠園皆美」を出発。日本一高い日御碕灯台,大国主神を祀った出雲大社,島根ワイナリー,米子のお菓子の寿城を見学する。
国宝に指定されている出雲大社の本殿は,檜皮の屋根葺きが60年~70年に一回行われる。この工事期間中は御祭神が拝殿に移され,完成した今年5年振りに元の本殿に返された。「平成の大遷宮」とあって,参拝客が多い。この影響で出雲大社の周辺の土産店は勿論のこと,玉造温泉,昼食場所の島根ワイナリー,お菓子の寿城は観光客で大盛況である。⇒詳細
7月19日(金)
高知県橋梁会の現場見学会。参加者は17名。昭和63年度より隔年で1泊2日の見学会が行われていたが,平成19年度に餘部鉄橋を見学して以来日帰り見学が続いていた。公共事業の削減で余裕がなかったためである。平成20年を底に公共事業も増え始め,昨年度からは人手が不足するほど仕事が増えている。
今年は,出雲大社が60年振りの遷宮の年に当たることから,出雲大社参拝と玉造温泉を入れた見学コースを企画してもらった。
今日は,岡山県の水島臨港道路の鋼管矢板井筒基礎工事現場,美咲町の旭5号橋の上部工架設現場を見学した。両現場とも多忙な中,橋梁会のために説明資料の準備,現場説明など貴重な時間を割いていただいた。特に,水島臨港道路現場の五洋建設の完璧な準備には感動させられた。
二日後には,五洋建設の斉藤様から集合写真のデータと「額入り写真」が送られてきて,またも感動させられた。⇒詳細
7月17日(水)
高知市追手筋沿いの志和ビル地下1階に今年の3月に開店した「かも鍋」専門店がある。伝説の料理番組「料理の鉄人」に出演したことのある橋本邦彦氏が腕をふるっている「鴨鍋 はし本」である。
家内が今月の6日に東京から帰る飛行機で,隣の席に座った年輩の女性から「主人は六本木のミッドタウンの隣で35年間「鴨鍋はし本」という料理店をしていたが息子に店を譲り,趣味の鮎釣りを楽しむため単身で高知に移住し,鴨鍋の店をしている。今日は主人に会いに行くところです」という話を伺ったということを家内から聞いていた。
鴨鍋は私の好物である。某議員の個人演説会の帰りに家内と一緒にその店で食事をすることにした。以前は「手料理こ橋」があった場所にその店があり,カウンターの奥に白髪の老人がいた。家内のことを奥様から聞いていたようで,「右城様ですね,必ずお見えになられると思っていました」と挨拶していただいた。最初のその一言でぐっと親しみを感じ,ご主人と楽しい会話をしながら美味しい「鴨鍋コース」をいただくことができた。
大変落ち着いた上品な店である。親しい友人とゆっくり会話を楽しみながら食事をするのに最高と思えた。
7月16日(月)
(公社)地盤工学会から出版する「落石対策工の設計法と計算例」の第3回目の執筆委員会を開催した。これまでは東京の地盤工学会で行っていたが,今回は高知で開催した。少しでも多くの人に素晴らしい高知を体験していただきたいという思いからである。
13時から17時まで高知ぢばさんセンターで委員会を行った後,高知の名所「ひろめ市場」で委員の皆さんに「かつおのタタキ」など高知の料理を堪能して頂いた。二次会は料亭「濱長」で土佐のお座敷遊び「べく杯」「菊の花」「しばてん踊り」を楽しんで頂いた。
7月13日(土)
松山市のにぎたつ会館で日本技術士会四国本部の役員会,平成25年度年次大会,公開講座・CPDセミナー,平成24年度技術士二次試験合格者祝賀会があった。
祝賀会を終えた後,前・四国本部長の加賀さん(今年度から理事)と馴染みのスナック「華山」に行く。
高知から一緒に松山に来ていた家内も友人達と一緒に飲んでいたので合流する。
この店は,松山大学名誉教授で松山大学学生地域総合研究所理事長の金村毅先生の馴染みの店。先生に連れてきて貰って以来,松山で飲むときには利用させて貰っている。ママさんは私と同い年ということもあって話が合う。
7月12日(金)
高知県建設技術公社の研修室で,10時より17時まで「平成25年度土木技術職員基礎研修[基礎Ⅱ]」の講義を担当する。受講者は25名で,高知県土木事務所や県内市町村の職員。
昨年度と同様に下記の講義を行った。
1.平成24年度版擁壁工指針による擁壁設計法の解説(10:00~14:00)
2.擁壁設計演習(14:00~16:00)
①大型ブロック積擁壁擁壁の設計
②直接基礎の安定性照査
3.擁壁のトラブル事例の紹介(16:00~17:00)
7月8日(月)
7月6日19時20分,岳母・友岡政子が,家内と扶美枝さんの二人の娘に看取られて入院先の岡豊病院で息を引き取った。岳父と同じく享年90歳であった。岳母が高知に来たのは1年10ヶ月前。爾来,グループホームや病院のお世話になっていた。
生前の岳母は,家族のために本当によく尽くしてくれた。そのことを誰よりも感じていたのは家内と扶美枝さんであった。
今日,14時より高知市斎場で家族だけの葬儀を行った。
7月7日(日)
家内の妹の兵頭扶美枝さん姪の信子,家内の叔父の森本高好さんが高知に来られたので「高知よさこい情報交流館」を案内する。よさこい祭り第60回記念大会を記念して,NTT高知東ビルの中に今年の4月27日にオープンしていたが,入館するのは初めてであった。
150インチの大型スクリーンでよさこいの歴史を紹介する「よさこいシアター」,鳴子を持って踊れる「よさこい体感コーナー」など「よさこい」の原点や魅力がまるごと紹介されている。
7月1日に入館者が2万人を突破。入館料は無料,工夫された展示物,案内係が若くて美人で親切,兎に角魅力が溢れている。素晴らしい。
高知に来られた方は勿論のこと,高知県民なら一度は入館されることをお薦めしたい。
7月6日(土)
平成25年度経営方針発表会を高知商工会館で開催する。私が社長に就任した年の翌年から始めたので第6回目となる。最初は,私が1年間の経営方針と経営目標などを発表するだけであったが,回を重ねるに従って充実したものになってきた。
今年は,経営方針の唱和,社長挨拶,新役員紹介,人事発令,辞令交付,優秀社員表彰,株式配当金の支給,経営方針発表,各部の活動計画,各委員会の活動計画,特別講演,退任者の送別会を行った。
7月1日(月)
昼前に突然,プロ歌手「OTOGI」の金子裕則氏と河村泉兵衛氏が会社にやってきた。明日,尾﨑知事から高知県観光特使の委嘱状を授与されることになっており,高知へ来られたということであった。
彼らを応援しているダイドウという会社の宮尻千恵子社長が,「高知に来ているのなら右城社長の所に顔を出しさない。もし居なければ会社で歌の一曲も歌ってきなさい」と言われたようである。今週,この時間に私が会社にいるのは今日だけ。縁があるというのはこのようなことだろう。
昨年の7月に,李登輝元総統の快気祝に坂本龍馬財団35名で台湾に行った。OTOGIのお二人と宮尻社長はその時のメンバーで,初対面であった。以後親しくさせていただいている。
この後,坂本龍馬記念館の森館長と会う約束をしているため余り時間がないということであったが,それでも羽織袴の舞台衣装に着替え,「RYOMAからの手紙」と「蒼い風」の2曲を熱唱してくれた。我が家からも家内,東京から里帰りしている娘と孫も会社に駆けつけてきた。
お二人から,第一コンサルタンツが11月29日に予定している創立50周年記念祝賀会にきて,華を添えてくれるという約束をいただいた。
6月26日(水)
月刊誌「土木技術」では今年,擁壁特集号を出す企画がある。「目からウロコの擁壁設計のすべて-平成24年改定の道路土工・擁壁工指針による-」と題する記事を9月号,11月号,12月号の3回に分けて掲載することになり,その執筆を依頼された。11月号と12月号は設計計算例とし,その執筆を岡林弘憲君と兵頭学君にお願いすることにした。
私が理工図書から「新道路土工指針による計算例」を出版させてもらったのは,平成元年で39歳の時であった。その後何冊か出版しているがこのときの本が最も多く売れた。読者目線で書けていたためと思われる。この若い二人なら,きっと読者が喜ぶような計算例を執筆をしてくれるものと思う。
最初の執筆者会議を馴染みの自然嗜好「花ころも」で行う。ここの主人・藤戸浩氏は大変腕のいい板前である。食材も抜群にいい。安くて美味い店である。
6月25日(火)
小松市から勘田氏,新潟市から窪田氏と氏,松山市から加賀山氏と有木氏が高知に来られた。落石防護ネットの性能評価法について議論をするためである。
落石は土木の中でも特にマイナーな分野である。落石対策に携わる技術者や研究者は非常に少ない。それだけに顔を合わせると話が尽きない。会社で2時間ほど議論した後,「ひろめ市場」に繰り出した。
ここは常設の屋台村。飲食店が約40店舗,お土産などの物販店が約20店舗集まっている。高知市民だけでなく観光客にも人気のスポットである。カツオのタタキはもちろんのこと,ウツボのタタキ,クジラの刺身,焼き餃子など高知の料理が揃っている。あまりにの「安さ」と「うまさ」に県外の人は驚く。勘田さんは昨年「四万十川ウルトラマラソン」,今年は「龍馬マラソン」を走るため高知に来ているが,高知にいる間は毎日ここに来ている。
6月22日(土)
東京に住んでいる娘の和恵がネットから予約を入れていたホテル松葉川温泉に行く。祐希が産まれた直後の2年前に泊まって以来である。温泉,料理共に素晴らしい。光市に住んでいる兼清夫妻は「四国で一番」と評していたが,私も大好きな場所である。
途中,久礼の大正市場に寄って食事をする。台風4号の影響で漁ができず,土佐沖の取れたてのカツオを食べられないのが残念。それでも,田中鮮魚店でカツオのたたき,グレの煮付け,アジのみりん干しなどを買ってビールを飲みながら食べる。最高。魚料理は漁港のある市場で食べるのが一番である。いくら味付けをしても新鮮な素材には勝てない。
松葉川温泉への道中には壱斗俵沈下橋がある。四万十川に現存する沈下橋では最も古い。国の登録有形文化財に指定されている。淵になっていて,水の流れが緩いので水面に周囲の景色が映って美しい。私の大好きな景色の一つである。夏にはここで鮎の火振り漁が行われる。
アメンボー,カエル,蝶々にも出会えた。自然を満喫できた。自然の美しさを改めて知らされた。
松葉川温泉の料理で好きなのは,鮎の塩焼き。三つ星レストランの料理人を3人も育てた天才料理人・小山裕久が著書「恋する料理人」に鮎の直火焼きのことを書いているが,鮎の塩焼きほど料理人の腕前に左右される料理はない。以前,京都駅ビルにある京懐石の店「松山閣」で食べた鮎が一番であった。絶妙の焼き方で,ヒレまで美味しく食べることができた。松葉川温泉の鮎もこれに次いで美味しい。
夜の8時からは「ホタル狩り」。ホテルから近くのホタルの見れるスポットまで無料バスで連れて行ってくれるという。農薬の影響で絶滅したものと思っていた。本当に見えるのか疑心暗鬼であったが,橋の上に止めたバスの周りをホタルが黄色い光を放ちながら飛び回るのには感動した。自動車のウインカーランプを点滅するとホタルが近寄ってきた。「ほっ,ほっ,ホタル来い。あっちの水は苦いぞこっちの水は甘いぞ」と歌って喜んでいた祐希は,実際にホタルを見ると泣き出してしまった。
松葉川は自然がいっぱい。素晴らしい。最高。
6月21日(金)
心配していた台風4号が今朝,温帯低気圧に変わった。和恵ら家族が予定通り13時15分に高知空港に着いた。祐希は2歳3ヶ月。良くしゃべる。好奇心旺盛である。趣味は新幹線。ひかり,のぞみ,こまちといった名前が次々でてくる。ジグソーパズルも12枚程度であればできる。子供の記憶力の良さには驚かされる。どこの家でも「うちの孫は天才かも知れない」と思うのだろう。ところがほとんどの場合「10で神童,15で才子,20過ぎればただの人」となるのである。
夕食は娘のリクエストにより,近所の「明叙苑」で焼き肉。
6月20日(木)
昨年の技術士二次試験の建設部門に(株)地研の中根久幸君が見事合格した。年齢は私より二回り下の39歳。
わが社にきて社員に体験談を話してもらった。そのお礼に,私の好きなマザーテレサの次の言葉と一緒にネクタイをプレゼントさせていただいた。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
6月17日(月)
久し振りに高知県庁に行く機会があった。正面玄関には「高知家」の表札が掲げられていた。尾﨑正直知事と高知市出身のタレント広末涼子が,「高知県は,一つの大家族やき」「高知県と縁がある人は,みんなあ家族」と高知県の新しいスローガンを発表し,6月4日に表札を掲げた。
正面玄関には「県庁おもてなし課」ロケセット入口 東約80m先」という案内標識もある。県庁5階には「おもてなし課」が実際にある。それを題材にした有川浩の小説「県庁おもてなし課」が映画化され,いま大ヒットしている。映画のロケセットが県庁内の議会棟と本庁舎を結ぶ渡り廊下に設けられている。議会棟の玄関から入り2階に上がると,誰でも無料で見物できる。
高知県庁の建物は他県に比べて劣る。しかし,県庁で働いている人達の心の温かさは日本一だ。気取ることなく,誰もが親切に応対してくれる。県庁らしくない県庁である。
6月16日(日)
東宝シネマズ高知で「軌跡のリンゴ」を観た。絶対不可能と言われたりんごの無農薬栽培に取り組み続けた木村秋則さんの実話を映画化したドラマ。主人公は書店で偶然,福岡正信著の「自然農法論」という本を見つけたことが,無農薬栽培に取り組むことになる。
私も10数年前に,「自然農法わら一本の革命」という 福岡正信氏が書かれた本を読み感銘を受けた経験がある。自然農法とは、土を耕すことなく,除草せず,肥料 を与えず,農薬を使用せずに栽培するという,常識を覆す農法である。この話を生前の親父に話すと,仮にできたとしても数年間は米の収穫がなくなる。経済的に無理。と言われたことを思い出した。また,無農薬栽培は寄生虫など人体に害を及ぼす虫が付くので,むしろ健康に悪いと言う意見もある。実際はどうなのだろうか。
6月15日(土)
14時30分より高知会館で高知県技術士会の定例総会。今年は役員の改選はない。
高知県技術士会は昭和61年に会員14名で設立した。27年目を迎えた今年は,11人が新たに入会され,会員数129名という大きな技術集団に成長した。第一コンサルタンツからは,前田秀夫,藤原敏,田所良太,小松由和の4名が入会した。
技術士会に対する期待は年々高まっている。最近では高知県建設技術公社より災害時における技術支援,研修会講師,技術研究発表会における審査員などの要請を受けている。高知県になくてはならない存在になってきた。
15時10分からは日本技術士会四国本部と高知県技術士会の共催による講演会。講師は,高知市役所地域防災推進課長の横山成郎(高知県技術士会幹事)と黒潮町の大西勝也町長。
黒潮町は,内閣府による津波高さの予測値が全国一の34.4mであったことから,津波の町として一躍有名になった。42歳と若くてエネルギッシュな大西町長が強力なリーダーシップを発揮して,200名の職員と一緒になって津波対策に取り組んでいるという発表があった。その取り組みはコンサルタントの指導を受けてやっているのではなく,職員が試行錯誤しながら取り組んでいる,時間は掛かるがそうしないと思考停止になりマニュアルが機能しなくなるという町長の説明であった。素晴らしい取り組みである。
18時から技術士第二次試験合格者祝賀会。
6月9日(日)
台湾最後の日。ホテルを7時に出発し,龍山寺で社業の発展を祈願。故宮博物院(中山博物院)には8時30分の開館を待って入館し,ここの目玉の翠玉の白菜,豚の角煮,象牙多層球,象牙透かし彫りなどを見物。最後は忠烈祠で衛兵の交代儀式を見物する。
台北忠烈祠は3度目の見物であったが,観光客のマナーが昨年とは様変わりしていた。大勢の中国人観光客が隊列を組んで行進する衛兵の直前に立って写真を撮ったり,交代儀式の見所となる宮殿前では立ち入り禁止のバリケードテープが張られているにも関わらず,係員の注意を無視して中に入って写真を撮るなど無礼千万な行動が目立った。故宮博物院でも係員の注意を無視して展示物の写真を撮りまくっていたようである。
今年の4月に,李登輝元総統の秘書をされている小栗山さんが高知に来られた時に,中国人観光客のマナーが悪いという話を伺っていたが,ここまでひどいとは思わなかった。
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6月8日(土)
今日は自由行動の日。台北市街地を散策する者,オプショナルツアーで九分を観光する者もいたが,私を含む第一コンサルタンツの12名は,愛媛大学の矢田部副学長らとチャーターした大型バスで九分と野柳を観光する。
日本で聞いた天気予報によると台湾はずっと雨であったが,実際は今日も快晴。日射病になりはしないかと思われるほどの暑さであった。
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6月7日(金)
桃園駅8時21分発の高速鉄道で嘉義駅に行き,そこからバスで烏山頭ダム,八田與一記念公園を視察する。高速鉄道では座席が古川先生と並んでいたので,嘉義駅までずっと会話をさせていだき,とても有意義な時間を過ごすことができた。車中でも現地に到着するまでの間ずっと台湾の歴史,2.28事件のことなどを講義していたたき,大変勉強になった。
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6月6日(木)
15時30分,これから第一コンサルタンツの第2班が社員旅行に出発する。第1班は1週間前に出発し,帰ってきている。
第一コンサルタンツでは,以前は社員旅行を毎年の恒例行事としていたが,平成16年のハワイ旅行を最後に途絶えていた。今年は,当社の創立50周年であるため,その記念事業の一環として台湾に行くことにした。
7日の午前は桃園から高速鉄道(新幹線)で台南市に移動し,日本統治時代に土木技師八田與一が設計・監理した烏山頭ダムを見学,午後は研修組と別れ5名で国立高雄第一科技大学を表敬訪問,8日は九分と野柳,9日は故宮博物院,忠烈祀,龍山寺,台北101を見学して帰国する予定である。今回の旅行の特徴は,「台湾を愛した日本人土木技師八田與一の生涯」の著者である古川勝三先生に同行していただき,台湾の歴史,八田與一と烏山頭ダムについてお教えいただくことである。
創立50周年の今年は,次の100周年いう大きな山に向けて再スタートを切る記念すべき年になる。次の山に登るには,社員一人一人が土木技術者としての誇りと志を持ち, これまで以上に人格と技術を磨き,人々から尊敬されるような立派な土木技術者に成長しなければならない。今回の最大の目的は,このような私の思いを叶えることにある。
6月4日(火)
日本橋堀留町にあるJFE建材本社1階の会議室で,KSネット・ワイヤネット工法協力会とJFE建材による技術研究会があり,「落石対策技術の現状と課題」と題し,下記の内容について120分間の講演をする。 全国から60名の技術者参加していた。
①落石対策に関する最近の話題
②落石の運動
③落石防護柵
④ポケット式落石防護ネット
⑤落石防護柵と落石防護ネットの現場実験
⑥質疑応答
5月26日(日)
2010年,2011年に続いて3度目の小豆島オリーブマラソンに出場した。
マラソンの大きな楽しみは,マラソン仲間と一緒に食事をすることにある。今回も山口の兼清夫妻と同じホテルに泊まることにしていたので,前日の25日,高松港14時48分発の草壁行きフェリーで小豆島に渡った。
オリーブマラソンには5キロ,10キロ,ハーフの3種目がある。私は3度とも10キロに出場。今年のタイムは1時間17分19秒。一昨年の第36回の1時間7分51秒を大幅に上回った。家内は1時間18分10秒。一昨年の1時間8分6秒を大幅に超過。
一昨年までは日々進化していたが,最近は夫婦とも退化を抑えるのが精一杯になっている。
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5月24日(金)
千代田区にある建設コンサルタンツ協会の本部会議室で開催された国総研,土木研究所と建設コンサルタンツ協会による意見交換会に四国支部代表として出席する。
東京に来ると驚くことが多い。12時過ぎに地下鉄麹町駅の傍のコンビニに入ると,昼食用の弁当を買う客で店内に長蛇の列ができていた。東京は人が多いがコンビニまで人で溢れていたのには驚いた。
会議が終わってタクシーに飛び乗って「有楽町駅まで」と告げたところ,運転手が「それはどこですか?知りません」と言うので,「それなら東京駅まで」と言うと「そこも分からない」と言われたのにはビックリ。タクシーに付いているカーナビの案内で東京駅までこれたが,降車場所を間違えてタクシーを止めたため,駅の係にこっぴどく叱られていた。最近タクシーに乗り始めたばかりで,しかも地方に住んでいたので東京の地理はさっぱり分からない様であった。
5月23日(木)
高知空港15時55分発のANAで東京へ。18時30分にホテル「ロイヤルパーク汐留タワー」に着くと,26階のフロントで当社の藤原氏と理工図書の柴山社長,志賀氏が待っていてくれた。
汐留タワーは38階の高層ビル。27階から37階が客室になっている。
藤原氏が馴染みの「カフェダイニング・インドシナ」に案内してくれた。汐留タワーのそばのカレッタ汐留の地下2階にあるタイ,ベトナム,インドシナ料理の店である。藤原氏お勧めのワインとタイ料理をいただく。
その後,カレッタ汐留の46階にあるフレンチレストラン「ソラシオ汐留」で夜景を眺めながらワインを飲む。地上200mからの眺めは最高。まさに,「天空のプレミアムダイニング 」である。
5月21日(火)
15時30分よりザ・クラウンパレス新阪急高知で第25回「測量の日」記念講演会。
昭和24年6月3日に「測量法」が制定されているが,測量の重要性を認識している国民は少ない。国土交通省は,平成元年に制定40周年を記念して6月3日を「測量の日」と定め,関心を高めるよう各種イベントを全国各地で実施している。
四国では,各県の測量設計業協会が持ち回りで「測量の日記念講演会」を開催している。今年は高知県測量設計業協会が担当することになり,技術委員長である私が企画し準備することになった。
高知県測協では東日本大震災が発生した平成23年6月に会員15名が宮城県に行き,被災地調査とボランティア活動をしている。また,昨年9月には,橋口会長以下15名で宮城県を訪問し,宮城県測協と意見交換会をしていた。そのようなことから,講演のテーマは「東日本大震災の教訓を語る」と決め,宮城県測協に講師をお願いした。被災地の測量設計会社は震災復旧のため寝食を削って働いている。それにも関わらず,宮城県測協会長の菅井一男氏と同協会3.11東日本大震災検証委員会副委員長の西條祐樹氏が快く引き受けてくれた。
東日本大震災では1万8千人の死者・行方不明が出たが,M9クラスの南海トラフ巨大地震が発生した場合,高知県では最悪4万2千人の死者が出ると予測されている。しかし,県民が正しい防災知識を身につけて早期避難をするなどすれば,死者は1/20以下の1800人にまで減らせるという予測もある。
今回の話をできるだけ多くの県民,とりわけ南海地震の際には被災者救助の中心的役割を果たしてもらわなければならない若者には是非とも聞いて欲しいと思った。このため,地震防災教育に熱心に取り組まれている高知高専の岡林宏二郎教授,高知工業高校り上原健教諭,潮江中学校の宮田龍校長にお願いし,生徒や学生を参加させていただいた。お陰で会場一杯となる140名の参加者があった。
マスコミの関心も予想以上に高く,NKK放送,高知さんさんテレビ,毎日新聞社など多くの取材があった。記者からの質問で感じたことは,防災対策,災害調査・復旧における測量設計会社の役割がほとんど理解されていない,家庭を犠牲にし寝る時間も惜しんで災害復旧に取り組んでいる技術者がいることが意外と知られていないということであった。
5月20日(月)
明日開催される「測量の日記念講演会」の講師をしていただくため,宮城県測量設計業協会の菅井一男会長と3.11東日本大震災検証委員会の西條祐樹委員にわざわざ宮城県から高知へお越しいただいた。お二人とも高知は初めてということであった。
お二人を歓迎するため18時より橋口会長,西川副会長,公文副会長と一緒に「居酒屋ひかるや」で食事。その後,4つの播磨屋橋,ひろめ市場をご案内させていただいた。
昨年の9月に高知県測協が宮城県を訪問し宮城県測協と意見交換会をしたのがきっかけで,今回の記念講演会が実現した。今後とも,両協会の交流を深めて行くことを約束した。
5月19日(日)
7月21日の参議院選挙まで残り63日。13時よりザ クラウンパレス新阪急高知で「高野光二郎講演会団結式」があった。会場は800名を超える人々で溢れていた。
結城健輔後援会長の挨拶に続き中西哲自民党高知県連幹事長,石田祝稔衆議院議員,安部孝宮城県議会議員,牧島かれん衆議院議員(神奈川17区)による応援演説があった。会場に来ることができなかった村井嘉浩宮城県知事,そして高知県選出衆議院議員の福井照,中谷元,山本有二からは,ビデオメッセージが寄せられた。
7月の参議院選挙に自由民主党公認候補とし出馬する高野光二郎は,持続可能な日本をつくることが大事であり「財政の健全化,食料・エネルギー自給率の向上」が政策課題。南海地震が起きると高知県だけで東日本大震災よりも多い4.2万人の死者が出る。命を守る地震対策が必要と熱く語った。
最後の応援演説は,麻生太郎副総理。総理経験者だけあって貫禄があるし,ユーモアを交えた話術は聴衆を引き込む。参議院選挙で一人区で自由民主党が三連敗しているのは高知県と岩手県だけ。なんとしても勝たなければならないと檄を飛ばした。
最後は,4月21日の四万十市長選挙に当選した中平正宏氏の音頭で「頑張ろう」コールをして団結式が閉められた。
5月11日(土)
構営技術コンサルタントの橋口孝好社長の次女・美奈ちゃんの結婚披露宴がザ クラウンパレス新阪急高知であった。30のテーブルが用意され240名を超える来賓客で溢れていた。最近の披露宴では珍しく盛大であた。知人をとても大切にする橋口家らしい披露宴であった。
私は昭和61年に徳島から高知に帰り第一コンサルタンツに入社した。橋口社長は大日本コンサルタントを退職し,現在の会社を創立された。お互いが昭和25年生まれで数少ない技術士であったこともあり,気があった。爾来,27年間良き協力者であると共にライバルとして共に過ごしてきた。
家内は美奈ちゃんが勤務していたフィットネスクラブ「カーブス」で長年お世話になっている。今日の披露宴は身内のことのように嬉しかった。
5月10日(金)
スカイツリーが間近に見える両国に住んでいる長女の和恵が,二人目を身籠もった。その見舞いのために,北海道からの帰り東京に立ち寄る。孫の祐希と会うのは,今年の正月以来である。まだ2歳2ヶ月であるが,語彙が豊富になり会話がしっかりしてきた。子供の成長は早い。祐希の関心はもっぱら新幹線である。iPadを器用に操作してユーチューブで新幹線の歌を呼び出す。
和恵達がレンタカーで羽田まで迎えに来てくれたので,一緒に東京ドイツ村に行く。 東京には,少し郊外に足を伸ばせば素晴らしい場所がたくさんある。
5月9日(木)
札幌は,平成14年9月に北海道大学で開催された第57回年次学術講演会に来て以来であった。北海道は何度か来ているが6月から9月の季節であり,5月は初めてである。
定期観光バス「札幌一日コース」で,札幌市中央市場「場外市場」,「大倉ジャンプ競技台と大倉山展望台」,「Boys,be ambitioous」で有名なクラーク先生の像が立つ「さっぽろ羊ヶ丘展望台」,路地の両側に17のラーメン屋が軒を並べる「ラーメン横丁」,札幌市を一望できる「藻岩山展望台」,美味しいコーヒーを飲める「ろいず珈琲館旧小熊館」,白い恋人の製造ラインを見学できる「白い恋人パーク」を見物する。
本州では各地で30゜近い真夏日であるというのに,北海道は寒い。桜は開花宣言があったばかり。どのような服装で来ようかとずいぶんと迷って,ダウンを持ってきた。正解であった。 大倉山や藻岩山にはまだ残雪があった。
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5月8日(水)
共同研究「高エネルギー吸収型落石防護工等の性能照査技術の関する研究」の第1回打合せが,14時より札幌市にある土木研究所寒地土木研究所の会議室であった。
これは,近年採用事例が増えている「高エネルギー吸収型の落石防護柵および落石防護ネット」が具備すべき機能を明らかにした上で,性能照査手法の確立を目的としたもので,参加者は寒地土木研究所が公募によって決定した産官学の技術者28名であった。
今日は,参加企業が開発した落石防護柵,防護ネットの性能確認実験,性能照査法に関する課題が発表された。
共同研究は各企業の利害が絡むため本音の議論ができない場合が多いが,今回は所属企業の枠を超えて熱心な討議が行われた。全国の落石防護工に関する技術者が一同に会して,熱心に討議できることは,わが国の落石対策技術を高める上で極めて意義深いものであると感じた。
18時からは,会場をすすきのに移し,味付けジンギスカンを食べながら意見交換会が行われた。
5月4日(土) みどりの日
今年のGWは著書の執筆に追われている。「擁壁の設計法と計算例」の出版を理工図書から頼まれており,5月中には脱稿する予定である。パソコンの前に座って朝から晩まで食事と睡眠の時間以外は原稿を書いている。しかし,以前のように集中力が続かない。
今日は気分転換に,本川村の稲叢山に登ることにした。登山は2009年の涸沢以来。これまでは安見さんに同行させてもらっていた。現在は会社を退職し,松山の「あいさい農園」で有機農法による野菜作りに追われているため,同行できる機会がなくなった。
朝の7時半に自動車で家を出発。稲叢山には2004年と2006年に来ているが,安見さんの車に便乗させてもらってきていたので,登山口までの経路は記憶から飛んでいた。稲村山トンネル坑口の西門山登山に着いたのは9時50分であった。駐車場には,すでに15台が駐められていた。
2006年の5月3日に来たときは,ピンク色をしたアケボノツツジが咲き誇り,まるで天国の花園に来ているような錯覚に陥ったことであったが,今年は期待が裏切られた。まだつぼみが多く,開花したものも霜にやられているということであった。花には恵まれなかったが,ウグイスの「ホーホケキョ」と鳴く音や,名前は分からないが「ピー・ピー」とさえずる野鳥の鳴き声が,心を癒やしてくれた。
以前は,登るのにかなりしんどい思いがしたが,今回は家内とも体力がついているのか体が軽く,登山口から山頂まで丁度1時間,下山は50分であった。
帰り道,国道33号仁淀川橋の下で開催されていたイベント「仁淀川 紙のこいのぼり」に立ち寄る。平成12年には「ふるさとイベント大賞自治大臣表彰」を受賞しているだけあって,素晴らしい。
4月30日(日)
高知大学大学院の北村暢章君が11時に会社訪問に来られた。農学部の原忠先生の研究室で,地盤の常時微動を計測して地盤特性を明らかにする研究をされている。「地元に残って働きたい,大学での研究を生かせる仕事に就きたい」この希望を叶えられそうな会社が我が社であるというのが,訪問の理由ということであった。
北村君のような若者が我が社に入社していただければ,私が理想としている会社を実現させることができる。そう思うと,北村君を旧知の同志のように思えて,時間が経つのも忘れて私の思いの丈を熱く語っていた。気がつくと午後の1時半を回っていた。
最後に,昨年,坂本龍馬財団から出版した「目を覚ませ日本!21世紀の龍馬よ!」という本に「第一コンサルタンツの龍馬になって下さい」というメッセージを添えてプレゼントをさせていただいた。
わが国は,近い将来南海トラフ巨大地震に見舞われる。首都直下,東海,東南海,南海,日向灘地震が連動し,平成関東大震災と西日本大震災が10年以内に起きると唱える学者もいる。自分の県を守るのが精一杯である。他県に頼ることはできない。高知県を守ることができるのは,高知県民しかいない。頼りになるのは若者である。
高知県の貴重な財産である若者が,安心して楽しく働くことができる職場を提供すると共に,高知県の未来を支えられる立派な人材に育てることが企業経営者の最大の責任である。私はそのように考えている。
4月29日(月)
高知新聞の朝刊で,友人の奥様が他界されたことを知った。昨年,ある選挙事務所で意見を述べられている元気な奥様を見ていたので信じられない思いがした。
奥様は,家内と同じ年齢で,名前は義母と同じ。母方の祖父も奥様と同じ61歳の時に膵臓癌で他界している。実際にお会いしたのは二度だけだが,不思議なご縁を感じさせられるお方であった。
奥様が数多くの社会活動を御主人と共にされていたことを葬儀で初めて知った。県内だけでなく,全国各地のフォーラムなどに積極的に参加され,事例発表などをされていたようである。このような女性は,高知県には数少ない。長生きをして後進の指導をしていただきたい人であっただけに残念である。
今日の葬儀は,私がこれまで経験した中で最も感動させられた。癌は死期が分かるので心の準備ができることを改めて知らされた。しかし,例え死期が分かったとしても,よほど気丈でなければ,家族や知人,葬儀の参列者にまでお別れの手紙を準備することはできない。
祭壇一杯に飾られていたかすみ草,献花に使われた白いカーネーション,琴の演奏などのBGM,葬儀のことも全て書面で残された遺言に従って執り行われたようである。
昨年9月に医師より「余命3ケ月~半年」と突然宣告されてから,体は見る見る30キロ代にまで痩せ細り衰弱したが,最後の数週間以外は水分補充のみで痛み止めの点滴を打つこともなく,死亡する前日まで自分らしさを気丈に見つめておられたそうである。その間の仲間の励まし,信頼する主治医の適切な緩和ケアが大きかったのではと友人から伺った。
今日ほど参列者に対する心配りがあり,教えられることの多い葬儀はなかった。最後の最後まで,自分の理想を貫かれた見事な幕引きであった。奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌
4月25日(木)
李登輝元総統の秘書をされている小栗山雪枝さんが,高知県日華親善協会の総会に出席するため高知に来られていた。小栗山さんには,昨年7月に台湾の李登輝事務所を訪問したとき大変お世話になった。
城西館で行われていた日華親善協会の懇親会が終わるのを待って,小川雅弘社長が経営している土佐薬膳料理のレストラン「加尾の庭」にご案内し,龍馬財団のメンバーで歓談をさせていただいた。
「加尾の庭」には,小川社長が世界各地から集められたいろいろな水晶が置かれている。専門家によって「気」を整えるように庭園内の六角堂,池の底にも水晶が敷き詰められ,トイレにも置かれている。小栗山さんは,この場所がとても気に入られたようである。「田んぼからカエルの鳴き声が聞こえ,夜空にはおぼろ月が浮かんでいる。ものすごく心地よい気が感じられ心が安らぐ。ずっとここに住んでいたい」と話されていた。
小栗山さんからいろいろ教えていただいた。終戦後に蒋介石が日本人を満州から帰国させてくれた,李登輝総統は船中八策に基づいて台湾の民主化を行った,昨年の7月に龍馬財団と一緒したときほど楽しそうな顔をされた李登輝総統を見たことがない,最近は毎日中国から7000人の観光客が来ている,故宮博物院は中国人で溢れているなどである。
森健志郎氏が,「私の夢は,李登輝さんと孫正義さんに対談をしてもらうことです」といわれると,「対談にはなりませんよ。総統が話し出すと止まりませんから」と応じられ,李登輝元総統の一面を垣間見る思いがした。
あっという間に2時間が経ち,23時になっていた。 小栗山さんは,日本の大学を卒業された後,昭和42年に台湾大学に留学。大学院の成績は世界から集まっている留学生の中でトップだったようである。小栗山さんくらい頭脳明晰でなければ,東洋の哲人と称される李登輝元総統の秘書は務まらないだろう。
4月24日(水)
建設コンサルタンツ協会四国支部の定時総会が、高松市の「ホテルマリンパレスさぬき」であった。第一コンサルタンツは小田会長が役員をされていたが、今年からは私が役員として就任することになり出席した。
建設コンサルタンツ協会は、第一コンサルタンツと同じく今年50周年を迎えるが、四国支部は昭和60
年の設立なので28周年である。四国に本社がある会員が16社、支店等の出先がある会員が28社、全部で44社である。会員には、会社の代表者が就任することになっているので、ほとんどの役員は留任であった。
建設コンサルタンツ協会四国支部の支部長は、四電技術コンサルタントの武山正人社長。宿毛市のご出身である。総会で来賓の挨拶をされた四国地方整備局の川崎正彦局長も高知市のご出身である。四国の中で最も弱小の高知県であるが、人材は豊かである。お二人が同郷と思うと親しみを感じると共に誇らしく思えた。
4月23日(火)
道路土工-擁壁工指針の執筆者である水谷美登志氏と上野次男氏のお二人に来社いただき,第一コンサルタンツの社員を交えて約2時間,擁壁工指針についてディスカッションをする。その後,得月楼でお二人を囲み社員と昼食を一緒にする。
水谷氏には,昨年の10月4日に会社に来ていただき講演をしていただいている。
上野氏とは今回が初対面。遠路札幌からわざわざお越しいただいた。四国には何度も仕事できているが,高知は初めてということであった。昨年の10月に作家の江上剛氏,昨年の3月に日本技術士会の内村会長,末利副会長からも高知は初めてということを聞いた。いずれも第一線でご活躍されている方である。高知には企業が少ない。ビジネスで訪れる機会がない県のようで,なんとも寂しい思いがした。
高知県は「わざわざ行こう!志国高知へ リョーマの休日」というキャッチコピーで観光客を誘致している。「仕事のついでに行く」ことができないのが高知なのである。
4月22日(月)
高知会館で高知県橋梁会の平成25年度第1回研修会を行った。講演は, ①新しい道路土工-擁壁工指針の解説,② 地盤改良による耐震・液状化対策,③ NEXCO中日本の橋梁技術の現状と課題,④ 持続可能な国家づくりの4編。
参加者は113名。過去には昭和62年に100名,平成6年に105名という記録があるが,36年間の歴史の中で最高を記録した。参加者の中には,札幌,東京,名古屋,大阪,広島から来られた方もいた。
橋梁会は,会員の年会費(1社2万円)で運営している。このため,講師には原則,手弁当で来ていただいている。謝礼,交通費は一切支払っていない。参加費は,会員は無料,非会員は1,000円(資料代)である。
参加費が安いのも魅力だろうが,何よりも大きな魅力は,アットホームな雰囲気にあるようである。
4月21日(日)
福良港から,鳴門の渦潮感潮船「咸臨丸(かんりんまる)」が出ている。ネットで調べると,「潮目が良く,うずの期待度大」となっていた9時30分発の船に乗る。クルージングの所要時間は1時間。船から観る大鳴門橋はとても美しい。
その後,4月13日に起きた淡路島地震(M6.3)による被害調査をしながら一般国道28号を淡路市南鵜崎まで走り,淡路島国営明石海峡公園を見物する。チューリップが美しかったが,1週間前がピークであったようで残念ある。
4月20日(土)
日本技術士会四国本部主催の「技術士二次試験合格祝賀会およびCPDセミナー・公開講座」(徳島会場)が,千秋閣ホテルであった。この会は毎年,各県で開催しており,開会の挨拶は副本部長が持ち回りで行うことになっている。徳島会場は私が挨拶することになっていたので出席させていただいた。
翌日,1週間前の4月13日に発生した「淡路島地震(M6.3)」の被害調査をするため,この日は南あわじ市福良の民宿「クボタ」に泊まる。ここは地震の影響がなく,「食器一つ割れなかった」ようである。
ネット情報によると,この民宿のウリは,「新鮮な魚」「天然温泉」「旦那と女将の明るい性格」。桜鯛(春にとれるマダイ)は今が旬。天然桜鯛の宝楽焼と活き造りは,とも美味しかった。風呂は天然温泉。近くの温泉から運搬しているそうで,湯質は弱アルカリ性。肌がぬるぬるして気持ちよい。温泉に浸かった後,酒を飲みながら新鮮な魚料理に舌鼓を打つ。
4月16日(火)
吉田博先生が新しく開発された落石防護柵「ストロンガー工法」の公開実験が,小矢部市水島にあるご自宅の実験場であり,見学させていただいた。
水平に設置した防護柵(柵高2m,支柱間隔3m×5スパン)に0.78tの重錘を13.07mの高さから自由落下させる実験である。防護柵に持ち込まれる重錘エネルギーは100kJであったが,見事に重錘を受け止めた。
通常の金網ワイヤロープ式防護柵は,30~50kJの落石エネルギーで破壊する。下記の問題があるためである。
①中間支柱にねじれが発生して横方向(弱軸方向)に変位することにより強度を失う 。
②菱形金網(φ3.2mm)が破網。
③端末支柱に横方向(弱軸方向)の力が作用して内向きに破壊。
ストロンガー工法は下記の点が工夫されている。
①中間支柱に下部拘束枠,上部ねじれ拘束枠及び連結棒を取り付けている。
②素線φ2.3の3本よりワイヤ金網を使用。
③端末支柱の索端部に緩衝金具を設置。
吉田先生は今年75歳になられるはずであるが,今でも実験を繰り返しながらコストパフォーマンスに優れた理想の落石防護柵を追い求めて研究を続けておられる。先生は,飯より何よりも実験が好きなのだろうと思う。
4月3日(水)
第一コンサルタンツの創業者で,第3代目の社長をされていた矢野利男氏が,昨年の秋の叙勲で「旭日双光章」を受章された。平成15年の藍綬褒章受章に続く栄誉である。その祝賀会が城西館であった。
矢野利男氏は昭和5年生まれ。すでに80歳を超えているがお元気で,現在も(社)日本国土調査測量協会の常務理事,(株)三洋測量設計の取締役会長を務められている。
昭和37年に国土調査促進特別措置法が制定され,昭和38年には国土調査十カ年計画が策定され,地籍調査が本格的に始まったその年に,矢野氏は第一コンサルタンツを設立している。
爾来,50年の長きにわたり国土調査と共に歩まれ,国土調査事業の推進に大きく貢献された。このことが高く評価され今回の受章に繋がったものと拝察される。心から敬意を表したい。
4月1日(月)
新入社員7名を迎え,第一コンサルタンツ恒例の入社式をサンピアセリーズで開催した。
今年は,第一コンサルタンツが創立50周年を迎える記念の年であるので,「台湾を愛した日本人土木技師 八田與一の生涯」と題する本の著者である古川勝三先生に,約90分にわたり特別講演をしていただいた。
八田與一とは,東京帝大で土木工学を学び,廣井勇教授(高知県佐川町出身)の薫陶を受けた土木技術者である。日本統治時代に台湾に渡り,1920年から30年にかけて東洋一の烏山頭ダムを建設し,不毛地帯であった嘉南平野を大穀倉地帯に変えた。80年以上経った今でも台湾の多くの方に敬愛され,中学校の社会科の教科書に「嘉南大圳の父」とした紹介されている。また,毎年5月8日の與一の命日には,地元民によって烏山頭ダムで慰霊祭が行われている。
古川先生から大変感動する話を聞かせていただいた。国土を変え,国民を幸せにし,国を発展させる上で,土木技術が如何に重要であるかということを教えていただいた。
南海トラフ巨大地震,デフレ不況,エネルギーなどの危機がある中で,わが国を発展させるには国土を強靱化しなければならない。八田與一のような大きな志をもつ優秀な土木技術者を育成する必要がある。
そのためには,社員全員で台湾に行き,烏山頭ダムや嘉南平野を実際に見学し,土木技術の偉大さを実感すべきと思えた。