見えるものしか見ない者と見えないものを見ようと努力するタイプ
宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)
『致知』2004年11月号 特集「喜怒哀楽の人間学」より
師を選ぶとは非常に大切なことでしてね。
二年半の留学生活の中で、一度だけチュクセン教授(ドイツ国立植生図研究所長)に訴えたことがあるんです。
来る日も来る日も現場へ行って植物を調べ、土を掘り続ける毎日だったので、せっかくドイツに来たんだからいろいろな本も読みたいし、他の教授の話も聞いてみたいと。
そうしたら老大家は、「見よ、この大地を!三十九億年の地球の生命の歴史と巨大な太陽のエネルギーの下での生命のドラマが目の前にある。まず現場に出て、目で見て、匂いを嗅いで、舐めて触って調べろ! 現代人には二つのタイプがある。
見えるものしか見ない者と見えないものを見ようと努力するタイプだ。
ミヤワキ、君は後者だ 現場が発しているかすかな情報から見えない全体を読み取りなさい」と言いました。
つまり現場がすべて、見かけ上の事象に惑わされず、本物を見ろということです。
チュクセン教授には日本で三十年間かけても学べないことを学ばせてもらいました。
だから、教育とは単に手取り足取り教えることではないんですね。
堀川芳雄先生(広島文理科大学)もチュクセン教授も、来るものは拒みませんでしたが、
丁寧に教わった記憶は一つもない。
大事なことは現場、現場、現場。大工や左官のように弟子はいかに師の知識を盗み取るかです。そういうハングリー精神でもって、初めて見えないものが見えてくる。
いまはパソコンのキーボードを叩けばデータが出て、それをもとに何本か論文を書けばすぐに学位をもらえます。
しかし、そんな研究はすぐに廃れるし、そんな人間は「本物の研究者」にはなれない。
どんなに金と最新の技術や医学を集めても、六十億人の誰一人、千年はおろか、二百年も生かすことはできない。
一本の雑草も、一匹の虫けらも生き返らせることはできないのです。まだ現代の科学が生命や環境に対していかに不十分かを知らなければなりません。