徳月楼
徳月楼は明治3年創業の老舗料亭。播磨屋橋の近くにある。創業当時の屋号は「陽暉楼」。上の新地(玉水新地)にあった遊郭である。高知県出身の直木賞作家・宮尾登美子が書いた小説「陽暉楼」(昭和51年)が,昭和58年に映画化され,よく知られるようになった。
明治11年、中秋の名月の日に西南の役から凱旋した将軍谷干城(たにたてき / たにかんじょう)の帰国祝いをかねて観月会を開催。 その時、谷干城が,北宋の時代に蘇麟(スーリン)が詠んだ漢詩「近水楼台先得月、向陽花木易為春」(水辺に近い高閣は先に月を得る、太陽に向いている花木は春になりやすい)から「陽暉楼」を「得月楼」と命名した。
明治25年に下の新地(稲荷新地)へ移転。松岡寅八は料亭「松鶴楼」を買い取って本店とすると共に,「中店」,「花壇」などの支店を次々につくったが,とも戦火で消失した。現在の得月楼は昭和25年,中店跡に建築士・柳生済の設計で再建されものである。
徳月楼の名物は,樹齢200年から300年といわれる300三百鉢余りの「盆梅」。1月中旬から3月中旬頃にかけて紅梅、白梅が咲く。盆梅は各部屋でも鑑賞できるが,2階の大広間の両側に並べられた盆梅は見事である。大広間は,日本三大美林のひとつヤナセ杉の三十六尺の一枚板を使った天井を持ち,今も明治の風雅な佇まいを残している。